狩野探信かのうたんしん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 江戸後期の画家。狩野守邦の長男。名は守道、別号に興斎。狩野守邦の息。鍛冶橋狩野家第七代。二世探信守政と区別するため「守道探信」と呼ばれる。幕府絵師として法眼に叙せられ、名手として世に聞こえた。天保6年(1835)歿、51才。 狩野探信(かのう たんしん)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した日本の狩野派絵師で、同名の絵師が複数存在します。特に著名なのは、初代の守政(1653年 - 1718年)と、7代目の守道(1785年 - 1836年)です。 狩野探信(守政) 初代の狩野探信、名は守政(もりまさ)、1653年に生まれ、1718年に没しました。彼は狩野探幽の三男で、江戸幕府の御用絵師として活躍しました。父・探幽の後を継ぎ、鍛冶橋狩野家の2代目当主となりました。 狩野探信(守道) 7代目の狩野探信、名は守道(もりみち)、1785年に生まれ、1836年に没しました。彼は狩野探牧(守邦)の長男として生まれ、幼名を千千代、字を清夫、号を興斎と称しました。鍛冶橋狩野家の7代目当主として、江戸幕府の御用絵師を務め、多くの作品を残しました。 作品と評価 守道の作品として、和歌山県の無量寺に所蔵されている「竜虎図」が知られています。この作品は、紙本墨画の双幅で、それぞれに「探信斎画」との署名と「藤原守道」の朱文方印が捺されています。江戸後期の狩野派画人として、優れた作品と評価されています。 狩野派の系譜 狩野派は、室町時代中期から江戸時代末期にかけて約400年間活動した、日本美術史上最大の画派です。親子や兄弟などの血縁関係を基盤とした職業画家集団で、室町幕府の御用絵師であった狩野正信を始祖とし、その子孫たちは織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家などの権力者と結びつき、画壇の中心として活躍しました。 まとめ 狩野探信という名の絵師は、江戸時代中期から後期にかけて複数存在し、それぞれが狩野派の伝統を受け継ぎながら、幕府の御用絵師として多くの作品を残しました。彼らの活動は、日本美術の発展に大きく寄与しました。 |