狩野永岳かのうえいがく
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 狩野 永岳(かのう えいがく、 寛政2年(1790年) - 慶応3年1月2日(1867年2月6日))は、江戸時代後期に京都を中心に活躍した画家。京狩野家9代。桃山風の画風を基本に円山四条派や文人画、復古大和絵など様々な画風を取り入れ、低迷する京狩野家を再興した。 永岳(永嶽)は諱。初名は泰助、字を公嶺。山梁、晩翠、脱庵などと号した。代々の通称、縫殿助(ぬいのすけ)を名乗った。京都の人。 狩野永岳(かのう えいがく、1790年 - 1867年)は、江戸時代後期に京都を中心に活躍した画家で、京狩野家の第9代当主です。 彼は、桃山時代の画風を基盤としつつ、円山四条派や文人画、復古大和絵など多様な画風を取り入れ、低迷していた京狩野家の再興に尽力しました。 生涯と経歴 永岳は、京都の画家・影山洞玉(狩野永章)の子として生まれ、狩野永俊の養子となりました。 1816年(文化13年)、永俊の死により家督を継ぎ、京狩野家の第9代当主となります。1823年(文政6年)には、九条家の家臣となり、以降、妙心寺隣華院や法光寺宝喜院の障壁画制作、桂宮御殿(現・二条城本丸御殿)の障壁画制作など、多くの重要な作品を手掛けました。 また、1846年(弘化3年)には宮廷画家(禁裏御画家御医次席)に任命され、1855年(安政2年)には御所造営における障壁画制作にも参加しました。 画風と影響 永岳は、初め狩野派の古法を学びましたが、後に円山派や四条派の画風も取り入れ、独自の画風を確立しました。 彼の作品は、京狩野派の古典とも言える狩野山楽・山雪の画風をよく学びつつも、時代の潮流を捉えた個性的な表現が特徴です。その結果、低迷していた京狩野家の再興に大きく貢献しました。 主な作品 永岳の代表的な作品として、以下のものが挙げられます。 「舞楽図屏風」:六曲一双の屏風で、舞楽の場面を描いた作品。現在、東京国立博物館に所蔵されています。 「富士山登龍図」:1852年(嘉永5年)に制作された絹本墨画の作品で、静岡県立美術館に所蔵されています。 「三十六歌仙歌意図屏風」:三十六歌仙の歌意を描いた屏風絵で、静岡県立美術館に所蔵されています。 まとめ 狩野永岳は、江戸時代後期の京都画壇において、伝統的な狩野派の技法を基盤としながらも、多様な画風を取り入れ、独自の表現を追求した画家です。その活動は、京狩野家の再興に大きく寄与し、後世の日本絵画にも影響を与えました。 |