広瀬台山ひろせたいざん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 江戸中期の南画家。美作津山生。名は清風、字は穆甫、通称は周蔵・雲太夫、別号に書画斎・白雲窩。福原五岳・細谷半斎に学び、山水画や詩書を能くした。文化10年(1813)歿、63才。 広瀬臺山(ひろせ たいざん、宝暦元年(1751年) - 文化10年10月13日(1813年11月5日))は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した文人画家です。初名を惟馨(これよし)としましたが、津山藩主の号に近いことを避けて清風(せいふう)に改めました。字は穆甫(ぼくほ)、通称は周蔵(しゅうぞう)や雲大夫(うんだゆう)と称し、臺山は号、別号に白雲窩(はくうんか)・書画斎(しょがさい)などがあります。津山藩の藩士で、大坂に生まれました。 略歴 臺山は、美作津山藩士・広瀬義平の長男として、大坂蔵屋敷で生まれました。大坂在住中に、池大雅の高弟である福原五岳に師事し、画技を学びました。安永4年(1775年)、25歳の時に父と共に津山に帰藩し、この際に師・五岳から「画石三面法図」を贈られています。その後、家督を相続し、京都御留守居見習や江戸詰を経験しました。享和3年(1803年)、53歳で病気を理由に致仕し、麻布長坂に居を構え画作に励みました。文化8年(1811年)、61歳で故郷津山に戻り、文化10年(1813年)に63歳で亡くなりました。 交友関係 臺山は、松平定信や上杉鷹山、増山雪斎などの諸大名、さらに雲室、片桐蘭石、松崎慊堂、谷文晁、木村蒹葭堂など、多くの文人と交友を持ちました。津山に帰郷後は、門弟の飯塚竹斎に画技を伝えています。 著作 寛政9年(1797年)には、『文武雅俗經渭辨』上下2冊を刊行しました。この書は、武士社会の規範の緩みを嘆き、本来の武士のあり方を説いたもので、「聖人の道が文であり、それが行われることが武である。文武とはひとつであり、武士たる者は文武兼備であること」を主張しています。 作品 臺山の作品は多岐にわたり、以下のような作品が知られています。 「梅花書屋図」1800年 「江山秋色図」1805年 「雲松烟柏図」1811年 「竹林図襖絵」津山郷土博物館所蔵 「松下人物図」岡山県立美術館所蔵 「唐人物図」岡山県立美術館所蔵 「滝見美人図」岡山県立美術館所蔵 「上杉鷹山正月図」米沢市上杉博物館所蔵 「甲斐国猿橋図」 「日光裏見滝図」 「金彩青緑山水図」 これらの作品は、臺山の優れた画技と芸術性を示しています。 評価と影響 臺山は、江戸時代中期から後期にかけての文人画家として高く評価されています。彼の作品は、現在も美術館や博物館に所蔵され、多くの人々に鑑賞されています。また、彼の著作や交友関係から、当時の文化や社会に対する深い洞察を持っていたことが伺えます。その影響は、後世の文人や画家にも及んでいます。 |