石田友汀いしだゆうてい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 石田友汀(いしだ ゆうてい、宝暦6年(1756年) - 文化12年10月6日(1815年11月6日))は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した日本の絵師で、鶴澤派(狩野派の一派)に属していました。​

生涯と経歴

京都出身で、当初は栢半兵衛という名前で、社像の彩色を家業とする町人の子として生まれました。​石田幽汀の門人となり、寛政5年(1793年)に幽汀の跡を継いだ石田遊汀が早世したため、急遽養子として石田家を継承しました。​その後、法橋に叙され、禁裏御用絵師として活躍しました。​また、他の町絵師とともに『東海道名所図会』などの版本挿絵も手掛けています。 ​

画風と作品

石田友汀の作品は、狩野派の伝統を守りつつも、堅実な画技が特徴です。​代表的な作品には以下のものがあります。​
松本商店

蘭亭曲水図:襖4面の作品で、大津市歴史博物館に寄託されています。
雪中騎驢・泊船図:六曲一双の作品で、同じく大津市歴史博物館に寄託されています。
西胡図:六曲一双の作品で、こちらも大津市歴史博物館に寄託されています。
黒馬図絵馬:1806年(文化3年)に制作された絵馬で、天孫神社絵馬堂に所蔵されています。
評価と影響

石田友汀は、狩野派の伝統を堅実に守りながらも、その画技の高さで評価されています。​禁裏御用絵師としての活動や、版本挿絵の制作など、多岐にわたる分野で活躍しました。​その作品は現在も美術館や神社に所蔵され、当時の絵師としての地位と影響力を示しています。​


石田友汀の作品は、現在の美術市場でも取引されており、古美術商などで目にすることができます。​例えば、「七夕祭」と題された作品が紹介されています。 ​

また、石田友汀は「平安人物志」文化10年(1813年)版にも掲載されており、不明門雪駄屋町(現在の京都市営地下鉄五条駅近く)に在住していたと記録されています。 ​

石田友汀の作品は、狩野派の伝統を受け継ぎながらも、独自の表現を追求した点で、江戸時代の絵画史において重要な位置を占めています。​