狩野永納かのうえいのう
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 狩野 永納(かのう えいのう、寛永8年(1631年) - 元禄10年3月7日(1697年4月27日))は、江戸時代前期の狩野派の絵師。名は吉信、通称縫殿助。字を伯受、別号に山静、一陽斎、梅岳、素絢軒など。 狩野永納(かのう えいのう、1631年 - 1697年4月27日)は、江戸時代前期の狩野派に属する絵師で、特に「本朝画史」の編纂者として知られています。 生涯と経歴 永納は、狩野山雪の長男として京都に生まれました。母は狩野山楽の娘であり、狩野派の血統を受け継いでいます。字を伯受、号を一陽斎、梅岳、山静などと称し、通称は縫殿助と呼ばれました。 21歳の時に父・山雪が亡くなり、京狩野家を継承しました。 画業と作風 永納の作品は、京狩野の伝統を受け継ぎつつも、装飾性豊かな一面を持ちます。しかし、父・山雪の没後は、江戸狩野の様式の影響を受け、形態は優美なものへと変化し、山雪の画風とは異なる穏やかな作風を示しました。 主に風景画や動物画を得意とし、その作品は詳細で、江戸時代の日本の美しさや風景を感じさせるもので、多くの人々から称賛されました。 『本朝画史』の編纂 永納は、父・山雪の草稿を編集・増補し、元禄4年(1691年)に『本朝画史』を刊行しました。この書物は、日本絵画史研究の基本的文献の一つとして名高く、日本人画家を知るための重要な資料とされています。 晩年と影響 永納は67歳で没しました。彼の画風は、京狩野の伝統を保持しつつも、江戸狩野の影響を受けた優美な作風であり、後の日本絵画に影響を与えました。また、『本朝画史』の編纂により、日本の美術史研究に多大な貢献を残しました。 |