熊代熊誹くましろゆうひ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 熊代 熊斐(くましろ ゆうひ、正徳2年(1712年) - 安永元年12月28日(1773年1月20日))は、江戸時代中期の長崎で活躍した画家。沈南蘋の彩色花鳥画の技法を多くの門人に伝え国内に広めた。この一派は南蘋派として知られ、当時の画壇に大きな影響をもたらした。
本姓は神代(くましろ)氏。名は斐(あやる)、字を淇瞻(きせん)、号を繍江(しゅうこう)。通称は彦之進のちに甚左衛門。唐風に熊斐と名乗った。

熊代熊斐(くましろ ゆうひ、1713年 - 1772年)は、江戸時代中期に活躍した日本の画家で、南蘋派(なんぴんは)の代表的な絵師として知られています。​彼は長崎の通詞(中国語通訳)である熊代家に生まれ、幼少期から中国文化に親しみました。​

経歴と画風

熊代熊斐は、21歳の時に中国から来日していた画家・沈南蘋(しんなんぴん、1682年 - 1760年)に師事し、南蘋派の技法を学びました。​沈南蘋は長崎に滞在し、中国の花鳥画の技法を日本に伝え、熊斐はその唯一の直接の日本人弟子とされています。​熊斐の作品は、写実的でありながらも装飾性が高く、特に花鳥画や動物画に優れた才能を発揮しました。​彼の描く虎は、実物を観察するために外国人が連れてきた生きた虎に接し、その動きを観察したと伝えられています。 ​

影響と弟子

熊斐の影響は大きく、彼の弟子である宋紫石(そうしせき、1715年 - 1786年)や森蘭斎(もりらんさい、1740年 - 1801年)など、多くの画家が彼のもとで学びました。​これらの弟子たちは、南蘋派の技法を江戸や大阪、京都などの主要都市に広め、日本の絵画界に新たな潮流をもたらしました。 ​
作品と評価

熊斐の作品は、当時の日本で高く評価され、中国からの輸入品が限られていた時代において、彼の作品は中国絵画の代替品としても重宝されました。​代表的な作品としては、『渓鳥花図』や『虎図』などがあり、その精緻な描写と大胆な構図は現在でも高く評価されています。 ​

熊代熊斐は、南蘋派の技法を日本に根付かせ、多くの後進を育成したことで、日本の絵画史において重要な役割を果たしました。​彼の作品は現在でも美術館や個人コレクションで鑑賞することができ、その芸術性と歴史的価値は高く評価されています。