宮崎友禅みやざきゆうぜん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 宮崎 友禅斎(みやざき ゆうぜんさい、承応3年(1654年)? - 元文元年6月13日(1736年7月21日)?) 江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)を中心に京都で活躍した扇絵師。着物の友禅模様という名称の基になった扇絵や小袖の雛形(ひながた)を描いた。来歴不明で出家であったことぐらいしか解っていない。 京都は知恩院前に住居を構え「友禅」と号した。扇面に描いた絵が「友禅扇」と言われ流行したことから、着物(小袖)のひながた(雛形)を描く。友禅模様は、男女、貴賎を問わず評判になり、後に友禅という名は着物の模様や染織技法も指す言葉になった。 友禅に師事したという友尽斎をはじめ、文献や資料には友仙、友泉、勇善、由禅、遊仙、幽禅などの名が出てくる。一派を形成したものか人気に便乗した偽者がいたのかは不明だが、当時の友禅に対する人気の程が伺える。 現在の仕事でいえば、染色のデザイナーであり、友禅というブランドの創始者であるといえる。現存する資料からは友禅斎が友禅染の技法の創作、大成、改良のいずれにも関与したとは認められないとする説もある。 友禅染は折からの奢侈禁止令によって豪華な織物や金銀の摺箔が使えなくなった町人達の美服への欲求を満たすものとして歓迎されたという。 宮崎友禅(みやざき ゆうぜん)について 基本情報 生没年:生年不詳 – 1736年(元文元年) 江戸時代中期の扇絵師・友禅染の創始者 出身地:京都(説あり) 宮崎友禅の生涯 宮崎友禅は、江戸時代中期に活躍した京都の扇絵師であり、友禅染(ゆうぜんぞめ)の創始者として知られています。彼は元々、京都で扇面に美しい絵を描く扇絵師として人気を博していました。彼の描く扇絵は、当時の京都の裕福な町人たちの間で流行しました。 その後、扇絵のデザインを着物に応用することを考え、**鮮やかな色彩と優雅な図柄を施した「友禅染」**を生み出しました。この技法は、当時の着物の染色技法として画期的なものであり、現在でも日本の伝統工芸として高く評価されています。 友禅染とは? 友禅染は、宮崎友禅によって考案された染色技法で、次のような特徴があります。 1. 型紙を使わず手描きで模様を描く それまでの染色技法では、型紙を使って柄を染めることが主流だったが、友禅染は直接筆で模様を描く。 これにより、より自由なデザインと繊細な表現が可能になった。 2. 糊防染技法 **「糊防染」**と呼ばれる技法を使い、模様を描いた部分に糊を置いて染料の滲みを防ぐ。 これにより、色彩が鮮やかに際立つ仕上がりになる。 3. 華やかで優雅なデザイン 友禅染のデザインは、花鳥風月や扇、流水模様などの雅な図柄が多く、当時の裕福な町人文化の中で大流行した。 友禅染の発展 宮崎友禅の技法は、京都を中心に全国に広まり、現在では以下のような地域で独自の発展を遂げました。 1. 京友禅 京都で発展した友禅染で、最も古典的で雅なデザインが特徴。 高級な振袖や訪問着に多く使われる。 2. 加賀友禅 石川県金沢で発展し、より写実的な花鳥風月のデザインが特徴。 ぼかし染めの技法が用いられ、立体感のある表現が得意。 3. 江戸友禅 東京で発展し、粋でシンプルなデザインが特徴。 京友禅や加賀友禅に比べ、江戸の町人文化を反映した控えめな色合いが多い。 宮崎友禅の影響 友禅染の技法は、江戸時代以降、着物文化において重要な役割を果たし、現在も高級着物の染色技法として受け継がれている。 彼の名前は、**「友禅」**という言葉として現代に残り、着物業界において伝説的な存在となっている。 まとめ 宮崎友禅は、扇絵師として活躍した後、友禅染を創始し、江戸時代の染色技法に革新をもたらした人物です。彼の考案した技法は、日本の伝統工芸として今も受け継がれ、京友禅・加賀友禅・江戸友禅などとして全国に広まりました。 友禅染の美しさと技術の高さは、今でも多くの人々に愛され、日本の伝統文化の象徴の一つとなっています。 |