狩野安信かのうやすのぶ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 狩野 安信(かのう やすのぶ、慶長18年12月1日(1614年1月10日) - 貞享2年9月4日(1685年10月1日))は江戸時代の狩野派の絵師である。幼名は四郎二郎・源四郎、号は永真・牧心斎。狩野孝信の三男で、狩野探幽、狩野尚信の弟。狩野宗家の中橋狩野家の祖。英一蝶は弟子に当たる。

狩野安信(かのう やすのぶ)について
基本情報

生没年:1613年(慶長18年) – 1685年(貞享2年)
江戸時代前期の狩野派絵師
父:狩野孝信(狩野派の重鎮)
兄:狩野探幽(狩野派の大成者)
通称:主馬(しゅめ)
法号:常信(じょうしん)
狩野安信の生涯
狩野安信は、江戸時代初期の狩野派を代表する絵師で、幕府の御用絵師として活躍しました。彼は、兄の**狩野探幽(かのう たんゆう)**と共に狩野派の基盤を固め、江戸狩野派の発展に大きく貢献しました。

特に、彼は幕府の命によって江戸城や日光東照宮の障壁画を多く手がけました。また、将軍・徳川家光や家綱に仕え、幕府の御用絵師として御用絵師制度の確立に尽力しました。

画風と特徴
狩野探幽の画風を踏襲
兄・探幽の確立した「簡潔で洗練された画風」を受け継ぎ、より形式化した狩野派の様式を整えた。
探幽の画風よりも線が太く、装飾的な傾向が強い。
障壁画の名手
江戸幕府の権威を象徴するような大規模な障壁画を多く制作。
金碧画(きんぺきが)(金箔を背景に用いた豪華な絵画)を多用し、寺社や城郭の装飾に貢献。
大和絵と中国画の融合
中国風の山水画や花鳥画だけでなく、日本的な伝統絵画である「大和絵」の技法も取り入れた。
これにより、狩野派の絵画はより多様な表現を持つようになった。
代表作
狩野安信の作品は、日本国内の寺社や博物館に現存しています。特に以下のような作品が有名です。

『日光東照宮障壁画』(栃木県)
徳川家康を祀る日光東照宮の障壁画を担当。
龍や虎などの力強い表現が特徴。
『江戸城障壁画』
江戸幕府の象徴である江戸城の装飾画を制作。
狩野派の格式ある作風を反映。
『群鶴図』
優雅な鶴の姿を描いた作品で、金碧画の代表的な一例。
『蓮池図』
中国画の影響を受けた水墨画で、繊細な表現が際立つ。
狩野安信の影響
彼の画風は、狩野派の後継者たちに受け継がれ、後の江戸狩野派の基礎を築くことになった。
「木挽町狩野家(こびきちょう かのうけ)」の始祖となり、狩野家の分派のひとつを形成。
狩野探幽の画風を忠実に継承しながらも、より装飾的で格式のある狩野派の画風を確立した。
まとめ
狩野安信は、江戸時代前期の狩野派を代表する絵師の一人であり、幕府の御用絵師として活躍しました。彼の作品は、江戸城や日光東照宮の障壁画など、大規模な装飾画を中心に制作され、狩野派の画風を定着させる重要な役割を果たしました。

狩野探幽の影響を受けながらも、より装飾的で豪華な表現を追求し、江戸狩野派の基礎を築いた人物です。