土佐光則とさみつのり
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 土佐光則(とさ みつのり、1583年 - 1638年3月1日)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した大和絵の絵師で、土佐派の重要な人物です。通称は源左衛門、あるいは右近と称しました。 生涯と業績 土佐光吉の子供、あるいは弟子とされ、父(または師)である光吉と共に堺に移り住み、土佐派の画系を継承するために尽力しました。 寛永6年(1629年)から寛永11年(1634年)にかけては、狩野派を代表する絵師たちと共に「当麻寺縁起絵巻」の制作に参加しています。 晩年の52歳頃、息子の土佐光起を伴って京都に戻り、土佐派の再興に努めました。 作風と評価 光則の作品は、極めて発色の良い絵の具を用いた金地濃彩の小作品が多く、土佐派の伝統を守りながらも、繊細な描写と色彩の巧みさで知られています。 また、細密な描写で『源氏物語画帖』(徳川美術館蔵)、『絵手鑑』(東京国立博物館蔵)、『白描源氏物語画帖』(フリーア美術館蔵)などを描いたとされています。 影響と後継者 光則の門人である土佐広通は、後に住吉姓を名乗り、住吉派を興しました。 また、息子の土佐光起は、土佐派を再興し、宮廷の絵所預となりました。 これにより、土佐派の伝統は江戸時代を通じて継承されていきました。 光則の墓所は京都市の知恩寺にあります。 |