山本梅逸やまもとばいいつ

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 山本梅逸(やまもと ばいいつ、天明3年10月20日(1783年11月14日) - 安政3年1月2日(1856年2月7日))は江戸時代後期の文人画家。名古屋の生まれで、尾張南画の代表的画家。
本名を亮、諱は親亮、字を明卿。卯年生まれに因み、通称を卯年吉(うねきち)。 画号は春園・竹厳・梅佚、のちに梅逸とした。別号に梅華道人・玉禅・天道外史・葵園・友竹艸居・白梅居など。

山本梅逸(やまもと ばいいつ、1783年11月14日〈天明3年10月20日〉 - 1856年2月7日〈安政3年1月2日〉)は、江戸時代後期の文人画家で、尾張南画の巨匠として知られています。 ​

生涯

名古屋市中区大須に生まれ、父は彫刻師の山本有右衛門でした。 ​幼少期から画才に恵まれ、12歳の頃には見事な襖絵を描き上げたという逸話があります。 ​初めは山田宮常や山本蘭亭に学び、その後、豪商で古画収集家の神谷天遊の庇護を受け、同家に寄宿しながら古画の模写を行いました。 ​この時期に中林竹洞と出会い、生涯の盟友となりました。​


19歳で天遊が没すると、竹洞と共に京都に赴き、明清の古書画を研究しました。 ​その後、山陽や四国への遊歴を経て名古屋に戻り、50歳で再び上京。 ​京都では竹洞に次ぐ文人画家として名を高め、頼山陽ら文人たちとの交わりも広がりました。 ​晩年は名古屋に戻り、尾張藩の御用絵師格に取り立てられました。 ​

画風と作品

梅逸は、写生を基とした花鳥画を得意とし、精細で華美な画調を作り上げました。 ​代表作には、「花鳥図屏風」(出光美術館蔵)や「紅白梅図屏風」(島根県立美術館蔵)などがあります。 ​また、煎茶道にも通じ、茶道具の目利きとしても知られていました。 ​

門人たち

梅逸の弟子たちは、彼の画風を忠実に守る者や、全く異なる方向性を示す者など多岐にわたりました。 ​例えば、小島老鉄や風花翁雲阿は梅逸の山水画とは異なる作風を持ち、奥野碧潭は中林竹洞の影響を強く受けました。​


展示

一宮市博物館では、梅逸の「四季花鳥図」15幅(嘉永4年〈1851年〉作)が展示され、その精緻な筆遣いと生き生きとした表現が鑑賞者を魅了しています。 ​

梅逸は、その生涯を通じて日本美術に多大な影響を与え、現在でも多くの美術館や博物館で彼の作品が所蔵・展示されています。​