狩野興以かのうこうい
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 狩野 興以(かのう こうい、生年不詳 - 寛永13年7月17日 (1636年8月17日)は、安土桃山時代から江戸時代の狩野派の絵師。元の姓は松屋、通称・弥左衛門、あるいは弥兵衛。 狩野興以(かのう こうい、生年不詳 - 寛永13年7月17日〈1636年8月17日〉)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した狩野派の絵師です。本姓は松屋、通称は弥左衛門、または弥兵衛と称されました。 生涯と経歴 興以は関東に生まれ、下野国足利(現在の栃木県足利市)出身とされていますが、伊豆国や武蔵国出身とする説もあります。 若くして京都に出て、狩野光信に師事し、その高弟として知られるようになりました。光信の没後は、狩野孝信の子である探幽、尚信、安信の三兄弟を指導し、彼らの育成に尽力しました。この功績により、狩野姓を許され、後に法橋に叙せられました。 作品と作風 興以の作品は、水墨画を中心に、古典的な画法を会得した堅実で温和な表現が特色とされています。代表作としては、東京国立博物館所蔵の「山水図屏風」や、長野県建福寺蔵の「観音・竜虎図」などがあります。 また、慶應義塾のセンチュリー赤尾コレクションには、蘆の穂が揺れる水辺に降り立った雁を描いた「芦雁図」が所蔵されています。 紀州徳川家との関わり 晩年には紀州徳川家に仕え、その後、長男の興甫がこれを継ぎ、紀伊狩野家の初代となりました。また、次男の興也は水戸徳川家に、三男の興之は尾張徳川家に仕え、三兄弟が徳川御三家に仕えたことになります。 興以の没後は、江戸赤坂の種徳寺に葬られました。 影響と評価 興以は、狩野派の中枢で活躍し、特に探幽ら三兄弟の育成を通じて、江戸狩野の基礎を築いたとされています。その作風は、牧谿や雪舟の画風を慕い、水墨の伝統を取り入れたもので、古典的な画法を会得した堅実で温和な表現が特色とされています。 興以の作品は、現在でも美術館や寺院に所蔵され、その芸術性が評価されています。 |