狩野常信かのうつねのぶ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 狩野 常信(かのう つねのぶ、寛永13年3月13日(1636年4月18日) - 正徳3年1月27日(1713年2月21日))は、江戸時代前期の江戸幕府に仕えた御用絵師。父は狩野尚信。幼名は三位、右近と称し、養朴・耕寛斎・紫薇翁・古川叟・青白斎・寒雲子・潜屋などと号した。子に後を継いだ長男・周信、別に浜町狩野を興した次男・岑信、さらにそれを継いだ甫信がいる。 狩野常信(かのう つねのぶ、1636年~1713年) **狩野常信(かのう つねのぶ)**は、江戸時代前期の狩野派の絵師であり、江戸幕府の御用絵師として活躍しました。狩野探幽(かのう たんゆう)の高弟であり、狩野派の伝統を継承しつつ、木挽町狩野家(こびきちょうかのうけ)を創設し、後の狩野派の基盤を築いた重要な人物です。 1. 生涯 ① 幼少期と狩野派での修行 1636年(寛永13年)、京都または江戸で生まれる。 父は狩野安信(かのう やすのぶ)(狩野派の重要な画家)。 幼少の頃から狩野探幽(かのう たんゆう)に師事し、絵の才能を発揮。 狩野派の伝統的な画法を徹底的に学び、幕府の御用絵師として成長。 ② 木挽町狩野家の創設 1671年(寛文11年)、幕府の正式な命を受けて、「木挽町狩野家(こびきちょうかのうけ)」を創設。 木挽町狩野家は、江戸城の近くに位置し、幕府の御用絵師として江戸時代を通じて大きな影響を与えることになる。 ③ 江戸幕府の御用絵師としての活躍 狩野派の技法を活かした障壁画や屏風絵を多数制作。 幕府の公式行事や城郭の装飾に関わり、狩野派の権威を確立。 特に、江戸城や大名屋敷の障壁画を制作することで、狩野派の絵画を幕府の公式美術として確立。 ④ 晩年と死去 1713年(正徳3年)、77歳で死去。 彼の後継者たちは、江戸時代を通じて狩野派の伝統を守り続けた。 2. 画風と特徴 狩野常信の画風は、狩野派の伝統を忠実に受け継ぎながらも、装飾性を重視し、より洗練された表現を取り入れた点が特徴です。 ① 狩野探幽の影響 狩野探幽の簡潔で洗練された画風を受け継ぐ。 筆のタッチが軽やかで、洗練された構図が特徴。 **金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)**を活用し、華やかな装飾を施した作品を多く制作。 ② 精密な山水画 山水画においては、繊細な筆遣いとバランスの取れた構図が特徴。 中国の宋・元の山水画の影響を受けながら、日本的な表現を加えている。 ③ 豪華な装飾性 屏風絵や襖絵では、金箔を多用した華やかな表現が特徴的。 江戸時代の大名屋敷や寺社の装飾に多く用いられた。 ④ 花鳥画や人物画の優雅さ 狩野派の伝統的な花鳥画や人物画の技法を継承し、繊細で優雅な作品を多く残した。 3. 代表作 ① 《江戸城障壁画》 江戸城の内部装飾として制作された作品。 金碧障壁画の技法を駆使し、壮麗な松や鷹を描いた屏風絵。 ② 《山水図屏風(さんすいずびょうぶ)》 中国風の山水画を日本の狩野派風にアレンジした作品。 水墨の濃淡を活かし、奥行きのある構図が特徴。 ③ 《花鳥図(かちょうず)》 日本の四季を感じさせる花鳥画。 緻密な筆遣いと色彩の柔らかさが際立つ。 ④ 《竹林七賢図(ちくりんしちけんず)》 中国の古典を題材にした作品。 儒教的なテーマを持ち、江戸時代の知識人にも高く評価された。 4. 狩野常信の影響 ① 木挽町狩野家の確立 木挽町狩野家は、彼の創設により、江戸時代を通じて幕府の御用絵師として重要な役割を果たす。 幕末まで存続し、日本の美術史に大きな影響を与えた。 ② 江戸幕府の公式美術の確立 常信の時代に、狩野派の画風が幕府の公式な芸術スタイルとして確立。 その後の江戸狩野派は、常信の画風を基盤として発展していった。 ③ 後の狩野派絵師への影響 常信の技法や装飾的な表現は、後の狩野派の画家に継承され、幕末まで続いた。 彼の後継者である**狩野伊川院栄信(かのう いせんいん ひでのぶ)や狩野養信(かのう おさのぶ)**も、その流れを汲んでいる。 5. まとめ ✅ 狩野常信は、江戸時代前期の狩野派の絵師で、木挽町狩野家の創設者。 ✅ 狩野探幽の高弟として学び、幕府の御用絵師として活躍。 ✅ 江戸城の障壁画をはじめ、金碧障壁画や山水画、花鳥画などを制作。 ✅ 木挽町狩野家を確立し、江戸幕府の公式美術を形成。 ✅ 彼の画風は、後の江戸狩野派に継承され、幕末まで続いた。 狩野常信は、江戸時代の公式な美術を確立し、幕府の御用絵師として狩野派の繁栄を支えた重要な人物です。その影響は、後の江戸狩野派の発展にも大きく関わり、日本美術の歴史の中で重要な役割を果たしました。 |