尾形乾山おがたけんざん
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 尾形 乾山(おがた けんざん、 寛文3年(1663年) - 寛保3年6月2日(1743年7月22日)は、江戸時代の陶工、絵師。名は惟充。通称は権平、新三郎。号は深省、乾山、霊海、扶陸・逃禅、紫翠、尚古斎、陶隠、京兆逸民、華洛散人、習静堂など。一般には窯名として用いた「乾山」の名で知られる。 尾形乾山(おがた けんざん、1663年 - 1743年7月22日)は、江戸時代の陶工・画家であり、琳派を代表する芸術家の一人です。本名は尾形惟充(おがた これみつ)で、通称は権平、新三郎。号は深省、乾山、霊海、扶陸、逃禅、紫翠、尚古斎、陶隠、京兆逸民、華洛散人、習静堂など多くの雅号を持ちます。一般には窯名として用いた「乾山」の名で知られています。 生涯 乾山は、京都の裕福な呉服商「雁金屋」の三男として生まれました。兄は著名な画家・尾形光琳です。父・宗謙の死後、25歳で家業を継ぎましたが、後に芸術の道を志し、陶芸に興味を持つようになりました。 1699年(元禄12年)、京都近郊の鳴滝に窯を築き、本格的に作陶を開始しました。この地が都の西北(乾)の方角に位置することから、「乾山」と号しました。 その後、1712年(正徳2年)に二条丁字尾町に移り、共同窯を借りながら多くの作品を制作しました。1731年(享保16年)には江戸の入谷に移住し、作陶を続けました。晩年は絵画にも力を注ぎ、洗練された作品を残しています。1743年(寛保3年)、江戸で81歳の生涯を閉じました。 作風と技法 乾山の作品は、自由な発想と雅趣に富んだ絵付けが特徴で、素朴ながらも洗練された美しさがあります。兄・光琳との合作も多く、陶器に光琳の絵を施した作品は高い評価を受けています。また、野々村仁清の影響を受けつつも、独自の作風を確立し、京焼の発展に寄与しました。 代表作 色絵竜田川文透彫反鉢:紅葉と流水を透かし彫りで表現した鉢で、乾山の技術と美的感覚が凝縮された作品です。 銹絵寒山拾得図角皿:兄・光琳との合作で、寒山と拾得を描いた角皿です。絵画と陶芸の融合が見られる作品として評価されています。 影響と評価 乾山は、陶芸に文人趣味を取り入れ、芸術性の高い作品を多数生み出しました。その独創的な作風は後世の陶工や画家に影響を与え、日本の工芸史において重要な位置を占めています。また、彼の作品は現在も多くの美術館や博物館で所蔵され、その価値が再評価されています。 尾形乾山の生涯と作品は、日本の伝統工芸の深さと豊かさを物語っています。彼の創造性と美意識は、今なお多くの人々を魅了し続けています。 |