策彦周良さくげんしゅうりょう

時代 桃山時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟
プロフィール 策彦周良(さくげんしゅうりょう、文亀元年4月2日(1501年4月19日) - 天正7年6月30日(1579年7月23日))は、戦国時代の臨済宗の禅僧、外交官。号は策彦のほか謙斎、怡斎、怡雲子など。


策彦周良(さくげん しゅうりょう、1501年4月19日 - 1579年7月23日)は、戦国時代の臨済宗の禅僧であり、外交官としても活躍しました。​号は策彦のほか、謙斎、怡斎、怡雲子などがあります。​

生涯

文亀元年(1501年)、丹波国で細川氏の家老・井上宗信の三男として生まれました。​永正6年(1509年)に鹿苑寺(金閣寺)の心翁等安のもとで仏門に入り、後に天竜寺の塔頭・妙智院の住職となりました。​


遣明使としての活動

天文6年(1537年)、周防国の大名・大内義隆の主催で明への勘合貿易船が派遣される際、副使に任命されました。​翌年に出航し、温州府や北京を訪れ、天文10年(1541年)に帰国しました。​天文16年(1547年)には再び正使として明に渡り、天文19年(1550年)に帰国しました。​これらの経験は『策彦入明記』として記録され、日明貿易の貴重な史料となっています。 ​
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晩年

帰国後は京都の天竜寺妙智院の住職として隠棲し、詩文や五山文学の発展に寄与しました。​天正7年(1579年)に79歳で入寂しました。