里村紹巴さとむらじょうは

時代 桃山時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟
プロフィール 里村 紹巴(さとむら じょうは、大永5年(1525年) - 慶長7年4月14日(1602年6月2日))は、戦国時代の連歌師。里村姓は後世の呼称であり、本姓は松井氏ともいわれる。号は臨江斎・宝珠庵。奈良の生れ。長男に里村玄仍、次男里村玄仲、娘婿に里村昌叱。


里村紹巴(さとむら じょうは)とは?
里村紹巴(1525年〈大永5年〉 – 1602年〈慶長7年〉)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した連歌師(れんがし)です。宗祇(そうぎ)以来の正統な連歌の継承者とされ、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などの戦国武将とも交流を持ちました。

1. 里村紹巴の生涯

幼少期と連歌師としての修行
1525年(大永5年)、京都の里村家に生まれる。
里村家は代々、連歌を専門とする家系であり、宗祇の流れを汲む正統派の連歌師として知られていた。
若くして連歌の道を志し、当代の名人から学び、やがて連歌界の第一人者となる。
2. 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康との関わり
織田信長との関係

織田信長が天下統一を進める中、**1570年(元亀元年)**に信長の庇護を受ける。
信長のもとで安土城での連歌会を主宰し、連歌文化を広めた。
豊臣秀吉との関係

信長の死後、豊臣秀吉に仕え、秀吉の政治文化にも影響を与えた。
**「北野大茶会」(1587年)**の際にも、連歌の師として活躍。
徳川家康との関係

豊臣政権の後、徳川家康にも招かれ、江戸時代の初期に連歌文化の継承に尽力。
晩年は徳川政権下で連歌指導を行い、1602年(慶長7年)に死去(享年78歳)。
3. 里村紹巴の文化的業績

連歌の発展
宗祇の正統な流れを受け継ぎ、連歌の形式や技法を整理・発展させる。
**「三吟百韻」(さんぎんひゃくいん)**などの連歌会を主催し、武将たちに連歌を広めた。
代表的な著作
『連歌至宝抄』(れんがしほうしょう)
→ 連歌の作法や心得をまとめた重要な書物。
『連歌新式』
→ 連歌の形式や流派について記したもの。
4. 里村紹巴の影響

戦国時代の武将たちに「連歌」の価値を広め、文化の発展に貢献。
江戸時代の連歌文化の基盤を築き、後世の俳諧(俳句の前身)にも影響を与えた。
5. まとめ

里村紹巴は、戦国時代から江戸初期にかけての連歌師で、宗祇の正統な後継者とされる。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などの大名に仕え、連歌の普及に努めた。
『連歌至宝抄』などの著作を残し、連歌文化の基盤を築いた。
その影響は、後の俳諧(松尾芭蕉の時代)にも及ぶ。
里村紹巴は、単なる連歌師にとどまらず、戦国武将の文化顧問的な存在として、日本文化の発展に大きく貢献した人物でした。