興宗宗松こうじゅうそうしょう

時代 室町時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 1445-1522 室町-戦国時代の僧。
文安2年生まれ。臨済(りんざい)宗。悟渓宗頓(ごけい-そうとん)の法をつぐ。京都妙心寺,大徳寺の住持となる。明応3年美濃(みの)(岐阜県)の守護代斎藤利国にまねかれ,大宝寺をひらいた。大永(たいえい)2年6月21日死去。78歳。諡号(しごう)は大猷慈済禅師。


興宗宗松(こうそう そうしょう)は、江戸時代初期の茶道家で、特に「興宗流」の創始者として知られています。興宗宗松は、茶道の精神を深く理解し、その理念を体系化したことで、後世の茶道に大きな影響を与えました。彼の流派は、茶道の儀式と精神性を重視し、簡素でありながら深い美を追求する「わび茶」の思想に根ざしています。

生涯と背景
興宗宗松は、もともと禅僧であり、茶道と禅の精神的な結びつきが彼の茶の湯における重要な要素となりました。彼は、茶の湯を単なる嗜好や儀式としてではなく、心を清め、精神を集中させる修行の一環と捉えていました。そのため、彼の茶道は、単なる技術や形式だけでなく、心のあり方や日常生活での礼儀を大切にしました。

興宗流の特徴
興宗宗松が創設した興宗流は、茶道の中でも特に「わび茶」に重きを置いた流派として知られています。わび茶は、豪華さを排除し、質素で簡素な美を求めるもので、日常の中で見過ごされがちな美しさを見出すことを目指しています。興宗流では、茶道具や茶室の選定においても贅沢を避け、自然な美しさを大切にしました。

宗松はまた、茶室における精神的な集中を強調し、茶の湯の儀式を通じて心を無にし、自己の内面と向き合うことを大事にしていました。このため、彼の茶道は、形式的な儀礼にとどまらず、深い精神性を求めるものとして、多くの茶道家や愛好者に影響を与えました。

後世への影響
興宗流は、宗松の死後も彼の思想と教えを受け継ぎ、今日まで存続しています。また、興宗宗松の流派や茶道に対するアプローチは、後の茶道家に大きな影響を与え、特に「わび茶」の普及に寄与しました。茶道の中での「無駄を排除する美」や「自然の美」を強調する思想は、現代の茶道にも色濃く残っています。

宗松の茶道は、単に外面的な儀式を守るだけでなく、内面的な修行としての側面を持ち、茶の湯を通じて心を清め、精神を高めることを目指しました。