東溪宗牧とうけいそうぼく
時代 | 室町時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 永正年間(1504 - 1521年)に東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登の畠山義元、豊後の大友義長、周防の大内義興らが創建[1]。創建年次については、文亀2年(1502年)、永正元年(1504年)など諸説ある[2]。 明治の初めに神仏分離により大阪・住吉神社内の慈恩寺と岐阜・高山城主だった金森長近が大徳寺内に建立した金竜院を合併した。 東溪宗牧(とうけい そうぼく、1455年 - 1517年)は、室町時代中期から後期にかけて活躍した臨済宗の僧侶で、大徳寺の第72代住持を務めました。また、能登の畠山義元や九州の大友義長らと親交があり、龍源院の開山としても知られています。 経歴と業績 大徳寺第72代住持:1505年に大徳寺の第72代住持に就任し、禅宗の教義と実践の普及に努めました。 龍源院の開山:能登の畠山義元と大友義長の支援を受け、1502年に大徳寺の塔頭である龍源院を創建し、初代住持となりました。 「佛慧大圓禪師」の号:1512年、後柏原天皇から「佛慧大圓禪師」の号を賜り、その名声を高めました。 龍源院の特徴 龍源院は、東溪宗牧が開山した大徳寺の塔頭で、以下の特徴があります。 東滴壺(とうてきこ):日本最小の枯山水庭園で、白砂と五つの石を用いて水滴が広がる様子を表現しています。 方丈南庭「一枝坦(いっしだん)」:白砂と石組みで構成され、禅の教義を象徴する庭園です。 方丈北庭「龍吟庭」:須弥山を象徴する石組みが特徴的な枯山水庭園です。 著作と影響 東溪宗牧の教えや言葉は、後世の禅僧や信者に大きな影響を与えました。彼の語録は、禅の教義や実践に関する貴重な資料として伝えられています。 東溪宗牧の生涯と業績は、室町時代の禅宗の発展とその後の日本文化に多大な影響を与えました。彼の教えや作品は、現在も多くの人々に受け継がれています。 |