養叟宗頤ようそうそうい
時代 | 室町時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 1376-1458 室町時代の僧。 永和2=天授2年生まれ。臨済(りんざい)宗。近江(おうみ)(滋賀県)禅興庵(あん)の華叟宗曇(かそう-そうどん)の法をつぐ。文安2年京都大徳寺の住持となり,同寺の興隆につくす。のち和泉(いずみ)(大阪府)に陽春庵をひらく。同門の一休宗純(そうじゅん)との対立は有名。長禄(ちょうろく)2年6月27日死去。83歳。京都出身。諡号(しごう)は宗恵大照禅師。 養叟宗頤(ようそう そうい、1376年〈永和2年/天授2年〉 - 1458年8月6日〈長禄2年6月27日〉)は、室町時代前期の臨済宗の僧侶であり、諡号は宗恵大照禅師です。 ウィキペディア 生涯と経歴 出身:京都で生まれ、藤原氏の出自とされています。 ウィキペディア 修行:初めは大応派の福寺正覚庵や建仁寺天潤庵で修行し、その後、近江国(現在の滋賀県)にある禅興庵の華叟宗曇に師事し、その法を継承しました。 ウィキペディア 大徳寺住持:1445年(文安2年)、京都の大徳寺の住持となり、寺の興隆に尽力しました。 ウィキペディア 晩年:その後、和泉国(現在の大阪府)に陽春庵を開き、そこで晩年を過ごしました。 ウィキペディア 一休宗純との関係 養叟宗頤は、一休宗純(1394年 - 1481年)の兄弟子にあたります。一休宗純とは18歳の年齢差があり、同じ師である華叟宗曇の下で修行しました。しかし、後に一休宗純と養叟宗頤の間には対立が生じ、一休は養叟を激しく批判する詩を残しています。 ピルグリマリ 文化的影響 養叟宗頤は、室町時代の禅宗界において重要な役割を果たしました。彼の活動は、当時の宗教的・文化的な動向に影響を与え、後の禅僧や文化人にも影響を及ぼしました。 彼の生涯と業績は、室町時代の宗教史を語る上で欠かせない存在であり、特に一休宗純との関係は、当時の禅宗内部の動向を理解する上で重要な要素となっています。 |