古獄宗亘こがくそうこう

時代 室町時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 古嶽宗亘(こがく そうこう、1465年 - 1548年)は、室町時代後期から戦国時代にかけて活躍した臨済宗の僧侶であり、京都大徳寺の第76世住持として知られています。近江国(現在の滋賀県)の名族・佐々木氏の出身で、俗姓は六角、号は生苕(せいちょう)や苕波(ちょうは)と称しました。
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16歳で京都に上り、建仁寺に入門。その後、大徳寺の春浦宗熙(しゅんぽ そうき)や如意庵の実伝宗真(じつでん そうしん)に師事し、20年以上にわたり修行を重ね、実伝宗真から法を継承しました。1509年(永正6年)には大徳寺の住持となり、後に大仙院を創建し、その石庭(枯山水庭園)を自ら設計したことで知られています。
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また、1526年(大永6年)には堺の一小院を南宗庵と改称し、これが後の南宗寺の起源となりました。
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朝廷や幕府からの信任も厚く、後柏原天皇から「仏心正統禅師」、後奈良天皇からは「正法大聖国師」の勅諡号を賜りました。
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書画にも優れ、『生苕稿』という語録を残しています。
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1548年(天文17年)、84歳で示寂しました。その法系は「北派」と称され、大徳寺の茶の湯本山化にも貢献しました。