等春とうしゅん
時代 | 絵画 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 室町時代 |
プロフィール | ?-? 戦国時代の画家。 備前(岡山県)の人ともいうが,長谷川等伯(とうはく)の「等伯画説」によれば,奈良の大工の子。晩年の雪舟等楊(せっしゅう-とうよう)の弟子となり,師にしたがって加賀・能登(のと)へ旅をしている。門人に等伯の養父長谷川宗清(むねきよ)がいる。永正(えいしょう)-天文(てんぶん)(1504-55)ごろの人。作品に「花鳥人物押絵貼屏風(おしえばりびょうぶ)」「瀟湘(しょうしょう)八景図」など。 室町時代の画家**等春(とうしゅん)**は、雪舟等楊の弟子の一人として知られています。『備作人名大辞典』によれば、等春は永正年間(1504年~1521年)の人物であり、かつて周文が備前を訪れた際、牧童が馬を描くのを見て、その馬の脚が一本欠けていることに気づきました。周文がその理由を尋ねると、牧童は「これは馬の勢いを表現したものだ」と答えました。この才能に驚いた周文は、彼を京都に連れて行き画法を教え、大成させたと伝えられています。その後、等春は雪舟に師事し、さらに研鑽を積んだとされています。 YUAGARI ART また、京都・大徳寺の塔頭である龍源院の方丈襖絵には、室町時代に等春が描いた「列仙の図」があります。 KYOTOFUKOH.JP さらに、長谷川等伯は、祖父が雪舟の弟子である等春に学んだことから、自らを雪舟五代と称しています。 YUAGARI ART これらの記録から、等春は周文や雪舟といった名匠に師事し、その技術を受け継いだ画家であることがわかります。また、彼の作品や教えは、後の画家たちにも影響を与えたと考えられます。 |