南浦紹明なんぽしょうみょう

時代 鎌倉時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 南浦 紹明(なんぽ しょうみょう、嘉禎元年(1235年) - 延慶元年12月29日(1309年2月9日))は、鎌倉時代の臨済宗の僧。出自については不詳であるが、駿河国安倍郡の出身。諱は紹明(「しょうみょう」とも「じょうみん」ともよむ)、道号は南浦。勅諡号は円通大応国師。

南浦紹明(なんぽ じょうみょう、1235年 - 1309年2月9日)は、鎌倉時代中期の臨済宗の僧侶であり、円通大応国師(えんつう だいおう こくし)の諡号(しごう)で知られています。彼は駿河国安倍郡(現在の静岡県静岡市葵区)出身で、俗姓は藤原氏と伝えられています。

生涯

幼少期と出家: 南浦紹明は、幼少の頃より天台宗の浄弁法師の下で学び、15歳で鎌倉の建長寺開山である蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)に師事して出家しました。
入宋と修行: 1259年(正元元年)、24歳のときに南宋へ渡り、杭州の浄慈寺で虚堂智愚(きどう ちぐ)禅師に師事しました。虚堂禅師の下で厳しい修行を積み、1265年(文永2年)、31歳のときに大悟(深い悟り)を得たとされています。
帰国と布教活動: 1267年(文永4年)に日本へ帰国し、建長寺に戻りました。その後、九州の太宰府にある崇福寺や京都の万寿寺、鎌倉の建長寺などで住持を務め、臨済宗の教えを広めました。
晩年と死去: 1304年(嘉元2年)、後宇多上皇の招きで京都の万寿寺に入り、1307年(徳治2年)には再び建長寺の住持となりました。1309年(延慶2年)2月9日、75歳で建長寺にて示寂(死去)しました。
業績と影響

臨済宗の発展: 南浦紹明は、師である虚堂智愚から受け継いだ臨済宗の教えを日本に伝え、その普及と発展に大きく貢献しました。彼の弟子には、宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)などがいます。
文化財: 南浦紹明の遺墨として、五島美術館に所蔵されている「南浦紹明墨跡 法語」が重要文化財に指定されています。
ウィキペディア
茶文化への影響: 南浦紹明は、中国から茶の製法や道具を持ち帰り、日本の茶文化の発展にも寄与したと伝えられています。
M.THEPAPER.CN
南浦紹明の生涯と業績は、日本の禅宗史や茶文化の発展において重要な位置を占めています。