月江正印げっこうしょうぶん

時代 鎌倉時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール [生]至元4(1267)
[没]?
中国,元の禅僧。阿育王山に住し,碩徳と仰がれた。門下から著名な禅僧が多数輩出。日本から遊学した鉄舟徳済はその一人。至正3 (1343) 年徳済の帰国に際して与えた『送別偈』 (五島美術館) が現存し,また 84歳のときに書いた墨跡が伝来する。
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月江正印(げっこう しょういん、1267年 – 1343年以降)は、元代の中国における著名な禅僧であり、書跡(墨蹟)を残した書家としても高く評価されています。以下に月江正印の主な特徴とその意義についてまとめます。

基本情報
生没年
1267年生まれで、1343年以降まで生存していたと伝えられています。
出身・俗姓
出身は福州で、俗姓は「劉」とされています。また、「松月翁」という号(あだ名)でも知られています。
法名
仏心普鑑禅師という法名を有し、禅の教えと精神を体現する人物です。
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所属と師弟関係
師匠との関係
月江正印は、虎巌浄伏の法嗣(正式な弟子)であり、その教えを受け継いでいます。虎巌浄伏は当時の禅宗界で影響力のあった高僧であり、月江正印の書風にもその影響が見受けられます。
家族的な繋がり
また、月江正印は清拙正澄の実兄でもあり、兄弟ともに書道と禅の世界で高い評価を受けています。
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書道作品と文化的意義
書風の特徴
元代の書道は、趙孟頫などの影響を受けながらも、禅僧ならではの自由で力強い筆致が重視されます。月江正印の墨蹟は、そのような時代背景を反映し、筆運びに個性と情緒が感じられる作品となっています。
文化伝承への貢献
彼の書作品は、禅宗の精神が筆に表現されたものとして、単なる書道の枠を超えた文化的価値を持ちます。中国内だけでなく、後に日本へもその影響が伝わり、禅宗墨蹟として茶道の掛軸や書画として高く評価されました。たとえば、彼が残したとされる作品の一つには「与鉄舟徳済餞別語」があり、これは師弟間の印可状や餞別文として、禅の修行と伝統を象徴する重要な文書となっています。
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まとめ
月江正印は、元代の禅僧として虎巌浄伏の教えを受け継ぎながら、力強く情緒豊かな書風で書跡を残しました。彼の作品は、禅宗の精神を体現するとともに、中国書道の伝統と革新が融合したものとして、その後の日本禅宗の書道文化にも大きな影響を与えています。福州出身の彼は、実兄である清拙正澄との関係も含め、禅と書の世界において重要な位置を占める人物として、今日も高い評価を受け続けています。