法師兼胤けんいん
時代 | 鎌倉時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 古筆 |
プロフィール | 「法師兼胤」については、詳細な伝記資料がほとんど残されておらず、史実としては「事無可考」とされています。とはいえ、彼に関する重要な情報は、後世に伝わる写本の中で確認できます。 具体的には、京都の圓山にある天台宗の寺院「長楽寺」において、1291年(正応四年)の10月26日に、老眼ながら写本を完成させた際、巻末に「法印大和尚位遍照金剛兼胤(七十二)記之」と記されています。この記述から、彼が長楽寺の住持であったと考えられ、またその年齢が72であったことが分かります。 さらに、彼が写し上げた文書は『入唐求法巡礼行記』という、日本の高僧・圓仁(えんにん)が唐への求法の旅を記した重要な記録とされています。兼胤法師は、この写本の校訂にあたり、寛圓僧正本を参照していたと伝えられており、その働きにより、この貴重な記録が後世に伝わることとなりました。 まとめると、 身分・役割: 法師兼胤は、京都の長楽寺(天台宗寺院)の住持であったと伝えられる僧侶です。 写本の完成: 1291年10月26日、老眼になりながらも『入唐求法巡礼行記』の写本を完成させ、その巻末に「法印大和尚位遍照金剛兼胤(七十二)」と記されています。 史料としての意義: この写本は、圓仁法師が唐で求法の旅を行った記録として、日本と唐との仏教・文化交流を知る上で非常に重要な史料となっています。また、兼胤法師はその校訂にも携わっており、後世に正確な伝承を残す役割を果たしました。 以上のように、法師兼胤に関する直接の伝記情報は限られているものの、彼の写本やその注記から、当時の僧侶たちがどのように中国(唐)への求法の旅を記録し伝承していったのか、その一端を知ることができます。 |