古伊万里こいまり
時代 | 江戸時代中期〜後期頃 |
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カテゴリー | 陶磁器全般 |
プロフィール | 1. 初期の伊万里焼の誕生(17世紀初頭) 16世紀末~17世紀初頭: 1600年代初め、朝鮮半島からの陶工が日本に渡り、佐賀県有田町に陶器の製作技術を伝えました。これが、伊万里焼(有田焼)の基盤を作るきっかけとなりました。 1616年: 有田で陶器の製造が始まりました。初期の製品は、朝鮮式の陶器に似たデザインや技術が使用されていましたが、次第に日本独自のスタイルが確立されます。 2. 17世紀後半~18世紀初頭(古伊万里の確立) 17世紀後半: 1640年代から1650年代にかけて、伊万里焼は高い品質を誇る陶磁器として国内外に知られるようになり、特に「古伊万里」としての特徴が現れました。この時期、染付け(青花)や赤絵(赤い絵付け)といった技法が確立され、豪華なデザインが施されるようになりました。 輸出の開始: 17世紀の中盤、伊万里焼はオランダ商館を通じてヨーロッパに輸出されるようになりました。特にオランダに多く送られ、その後、フランスやイギリスにも広がり、ヨーロッパでの「ジャポニズム」ブームを引き起こしました。西洋では「伊万里」と呼ばれることが多く、日本の陶磁器が高く評価されました。 3. 江戸時代中期(18世紀) 18世紀: 古伊万里は、国内の富裕層や商人の間でも非常に人気がありました。この時期には、特に豪華で装飾的な技法が多く使われ、金彩を施したものや、金襴手(きんらんで)と呼ばれる金を使った華やかな模様が多く見られました。伊万里焼のデザインは非常に精緻で豪華になり、優れた絵付け技術が注目されました。 幕府の保護: 江戸幕府は、伊万里焼を保護し、その生産を奨励しました。これにより、有田焼は一層の発展を遂げ、質が高く、さまざまな種類の陶磁器が作られました。 4. 江戸時代後期(19世紀) 19世紀初頭: 江戸時代後期には、他の地域でも陶器が生産されるようになり、伊万里焼は他の地域の焼き物と競合することになりました。とはいえ、伊万里焼はその高い品質と美しさから、依然として高い評価を受けていました。 幕末(1850年代): 伊万里焼の生産は次第に衰退し、他の産地(特に明治時代の後半の東京や名古屋など)での陶器が台頭してきました。 |