詫磨俊賀たくましゅんが
時代 | 鎌倉時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 生年:生没年不詳 鎌倉前期に活躍した画家。俊賀法橋と呼ばれた。画作の記録に,建仁1(1201)年「唐本」(おそらく中国絵画)の図像により「善財善知識曼荼羅」を描き,嘉禄1(1225)年高山寺羅漢堂のために「唐本」の図像により「十六羅漢像」を,寛喜4(1232)年高山寺三重宝塔に「華厳善財善知識図」を描いた。事歴は明恵上人のいた高山寺関係が中心で,華厳経に基づいた舶載(輸入)の図像による制作という新潮流を担った。他に建保3(1215)年の「阿弥陀像」,寛喜3年の「真言八祖像」(神護寺蔵)などが知られている。 詫磨俊賀(たくま しゅんが、生年不詳 - 没年不詳)は、鎌倉時代前期に活躍した絵仏師で、法名は俊賀法橋と呼ばれました。彼は、平安時代後期から南北朝時代にかけて続いた絵仏師の流派である宅磨派の一員として知られています。 主な作品と特徴: 「善財善知識曼荼羅」:建仁元年(1201年)、中国の絵画を参考にして制作されたと伝えられています。この作品は、善財童子と五十三人の善知識を描いた曼荼羅で、華厳経の教義を視覚的に表現したものです。 「十六羅漢像」:嘉禄元年(1225年)、高山寺の羅漢堂のために制作されたとされています。この作品は、仏教の高僧である十六羅漢を描いたもので、各羅漢の個性が巧みに表現されています。 「華厳善財善知識図」:寛喜4年(1232年)、高山寺の三重宝塔のために制作されたと伝えられています。この作品は、華厳経の教義に基づき、善財童子と五十三人の善知識を描いたものです。 詫磨俊賀の作品は、華厳経に基づいた舶載の図像を取り入れ、新たな潮流を生み出しました。また、彼の作品は、後の絵仏師たちに多大な影響を与え、宅磨派の伝統を継承する上で重要な役割を果たしました。 |