藤原経隆ふじはらのつねたか

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール **藤原 経隆(ふじわら の つねたか、生没年不詳)**は、平安時代後期の貴族で、藤原北家隆家流に属します。父は修理大夫・藤原基隆、母は藤原長忠の娘です。官位は正四位下・出雲守に至りました。

経歴

経隆は、白河院政期末から鳥羽院政期初頭にかけて、以下の官職を歴任しました。

周防守:大治2年(1127年)12月に任命。
出雲守:大治3年(1128年)12月29日に任命。
讃岐守:大治5年(1130年)10月27日に任命。
また、左兵衛佐や右衛門佐といった武官も兼任しました。讃岐守在任中の天承元年(1131年)には、式内社である水主神社に参拝した記録があります。長承2年(1133年)には、成功(朝廷への献金)により従四位上に昇進しました。その後、鳥羽院政期中期には但馬守や再度の出雲守を務め、最終的に正四位下に至りました。

家族

父:藤原基隆
母:藤原長忠の娘
兄弟:忠隆、雅隆
妻:藤原宗能の娘
子:
藤原保隆
藤原基能
経円
八条院女房
経隆の子孫は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて公家社会で活躍しました。

なお、同名の人物として、鎌倉時代の画家である**土佐経隆(とさ つねたか)**がいます。彼は土佐派の始祖とされ、はじめ有房を名乗り、土佐権守に任じられました。しかし、平安時代後期の藤原経隆とは別人です。

藤原経隆の生涯は、平安時代後期の貴族社会において、地方官としての役割を果たしつつ、家族や子孫に影響を与えたものでした。