藤原定頼ふじわらのさだより

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 古筆・墨蹟
プロフィール 藤原 定頼(ふじわら の さだより)は平安時代中期の公家・歌人。権大納言・藤原公任の長男。中古三十六歌仙の一人。小倉百人一首では権中納言定頼。

**藤原定頼(ふじわら の さだより、995年〈長徳元年〉 - 1045年〈寛徳2年〉)**は、平安時代中期の公卿・歌人であり、藤原北家小野宮流に属します。父は権大納言・藤原公任、母は昭平親王の娘です。官位は正二位・権中納言に至り、「四条中納言」とも称されました。また、中古三十六歌仙の一人としても知られています。

生涯

幼少期と家族背景
995年(長徳元年)、藤原公任の長男として生まれました。祖父は関白を務めた藤原頼忠であり、母方の祖父は昭平親王と、名門の家系に生まれました。幼少期から聡明で、父・公任から深く愛されて育ちました。

官職と昇進
1007年(寛弘4年)に元服し、従五位下に叙され、翌年には侍従に任命されました。その後、右近衛少将、右中弁、蔵人頭、参議、右大弁などの要職を歴任し、最終的には権中納言に昇進しました。しかし、軽率な言動や問題行動もあり、政治的手腕に関しては厳しい評価を受けることもありました。
名博

晩年
1044年(長久5年)、病により出家し、翌年の1045年(寛徳2年)1月19日に51歳で亡くなりました。
WIKIPEDIA

和歌と文化的貢献

定頼は、父・公任譲りの和歌の才能を持ち、数多くの和歌を詠みました。『小倉百人一首』には、以下の和歌が収められています。

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木
(現代語訳:夜が明ける頃、宇治川に立ち込めた霧が途切れ途切れに晴れていき、その間から浅瀬に設けられた網代木が見えてくる様子が美しい。)
嵯峨嵐山文華館

この歌は、宇治川の朝の風景を情緒豊かに描写したもので、『千載和歌集』にも収録されています。また、定頼は書道や管弦、誦経にも秀でており、能書家としても名声を博しました。
コトバンク

人物像と逸話

定頼は、容姿端麗で美声の持ち主として知られ、多くの女性を魅了しました。『小倉百人一首』に収められた大弐三位や相模などの女流歌人との恋愛エピソードも伝わっています。一方で、軽率な行動や問題を起こすこともあり、三条天皇の行幸に際して親王の従者に暴行を加え、天皇の怒りを買って謹慎を命じられたこともありました。
名博

定頼の和歌や文化的活動は、平安時代中期の貴族社会において重要な役割を果たし、後世の文学や芸術にも影響を与えました。