理源大師りげんたいし

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 古筆・墨蹟
プロフィール 聖宝(しょうぼう、天長9年(832年) - 延喜9年7月6日(909年8月29日))は、平安時代前期の真言宗の僧。醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖。また、後に当山派修験道の祖とされる。俗名は恒蔭王。天智天皇の6世孫にあたり、父は葛声王(かどなおう)という。諡号は理源大師。『古今和歌集』に歌1首あり。

**理源大師(りげんだいし)こと聖宝(しょうぼう)**は、平安時代前期の天台宗の僧であり、真言宗の中興の祖とされる人物です。彼は修験道の発展にも大きく貢献し、後の日本仏教に多大な影響を与えました。

基本情報

俗名:不詳
法名:聖宝(しょうぼう)
生年:832年(天長9年)
没年:909年(延喜9年)
師:円仁(慈覚大師)、弘法大師空海の教えを受ける
称号:理源大師(1075年、白河天皇より追贈)
生涯と業績

幼少期と出家
832年(天長9年)、聖宝は日本の貴族の家に生まれました。幼いころから仏教に強い関心を持ち、比叡山延暦寺で出家しました。師である円仁(慈覚大師)のもとで天台密教を学びましたが、後に弘法大師空海の教えにも傾倒し、真言密教にも深く関与するようになりました。

東寺での活躍
聖宝は、空海が建立した東寺(教王護国寺)で真言密教の修行を重ねました。彼は真言宗の密教儀式の整備に貢献し、空海の教えをより体系化しました。

また、**東寺長者(とうじちょうじゃ)**にも任命され、東寺の運営を担いました。彼の指導のもと、東寺はさらに発展を遂げました。

醍醐寺の創建
874年(貞観16年)、聖宝は醍醐山に入山し、醍醐寺を創建しました。

彼は、この地を仏教修行の聖地とすることを決意し、伽藍(寺院の建物)を整備しました。
醍醐寺は、後に醍醐天皇(在位:897年-930年)からも篤い信仰を受け、真言宗の重要な寺院となりました。
現在、醍醐寺は世界遺産にも登録されており、聖宝の業績が今なお受け継がれています。

修験道との関係
聖宝は、修験道(しゅげんどう)にも深く関わり、「本山派修験道」の開祖とされています。

修験道とは、山岳修行を通じて悟りを開く仏教の一派です。
聖宝は、比叡山や熊野で修行を行い、修験道の教えを体系化しました。
彼は、山伏(やまぶし)たちの修行制度を整え、日本における修験道の発展を促しました。
理源大師の号と後世の評価
909年(延喜9年)、聖宝は78歳で亡くなりました。

その後、1075年(延久7年)に白河天皇より「理源大師(りげんだいし)」の号を追贈されました。

「理源」 とは、「仏法の根源を理解し、それを広めた者」という意味を持ちます。
彼は密教と修験道の両方に大きな影響を与え、日本仏教の発展に貢献しました。
理源大師の影響

真言密教の発展
空海の教えを整理し、後世に伝える役割を果たした。
東寺・醍醐寺の発展に尽力。
修験道の体系化
山岳修行の制度を整え、多くの修行僧(山伏)を育成。
文化への影響
醍醐寺が後世の仏教美術や建築に与えた影響は大きい。
修験道の伝統は現代の山岳信仰にも影響を与えている。
まとめ

聖宝(理源大師)は、真言宗と修験道の発展に大きく貢献した僧侶。
醍醐寺を創建し、真言宗の拠点とした。
修験道の体系を整え、「本山派修験道」の祖とされた。
白河天皇から「理源大師」の号を追贈された。
彼の影響は現在の仏教や修験道にも残っており、日本宗教史において極めて重要な人物です。