小野道風おののとうふう
時代 | 平安時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 古筆・墨蹟 |
プロフィール | 小野 道風(おの の みちかぜ/とうふう[1])は、平安時代の貴族・能書家。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の子。藤原純友討伐に功を成した公卿・小野好古は実兄。官位は正四位下・内蔵頭。「三跡」の一人。 **小野道風(おのの とうふう)**は、平安時代中期(9世紀末~10世紀)の能書家で、日本三跡の一人として知られています。他の二人は藤原佐理(ふじわらのさり)と藤原行成(ふじわらのこうぜい)です。 生涯と経歴 生年:894年(寛平6年)頃 没年:966年(康保3年) 出身:小野氏(文人貴族の家系) 官職:蔵人所(天皇の秘書官的な職務)や右少弁などを務めたが、政治家としての活動よりも書家としての功績が大きい。 小野道風は幼少より書に親しみ、中国の王羲之・王献之の書風を研究し、日本独自の書風を確立しました。特に和様書道(日本独自の美意識に基づいた書)の発展に貢献しました。 書風の特徴 小野道風の書は、それまでの唐風の書に比べ、柔和で流麗な線を持つのが特徴です。この書風が後の「和様」の基礎を築き、後世の日本書道に大きな影響を与えました。 代表作 1. 屏風土代(びょうぶのどだい) 概要:現存する書簡で、かな文字の美しさを示す貴重な作品。 特徴:繊細でリズミカルな筆遣い。 2. 風信帖(ふうしんじょう) 概要:空海が最澄に宛てた手紙の模写ともされるが、道風の作品ともされる。 特徴:流麗な筆遣いで、後世に影響を与えた。 3. 継色紙(つぎしきし) 概要:和様書道の完成形ともされる。 特徴:変化に富んだ書体で、後の仮名書道の手本となる。 逸話 「蛙と柳」の伝説 ある日、小野道風は書道の才能がないと落ち込んでいました。雨の日に出かけた際、蛙が柳の枝に飛びつこうとして何度も失敗しているのを見ました。しかし、蛙は諦めずに跳び続け、最終的に枝にしがみつくことができました。これを見た道風は「努力すれば道は開ける」と悟り、それ以降熱心に書に励んだとされています。 影響と後世への評価 小野道風は和様書道の祖とされ、彼の書風は後の藤原行成らにも受け継がれました。鎌倉時代以降は、「三筆(嵯峨天皇・空海・橘逸勢)」とともに「日本三跡」として称えられ、書道史において重要な人物となっています。 また、愛知県名古屋市には 「小野道風記念館」 があり、彼の業績を紹介しています。 まとめ 日本三跡の一人で、和様書道の基礎を築いた。 代表作には「屏風土代」「継色紙」などがある。 「蛙と柳」の逸話が有名。 彼の書風は後世の日本書道に大きな影響を与えた。 小野道風の影響は現在の書道文化にも色濃く残り、日本の美意識を形作る重要な要素となっています。 |