恵心僧都えしんそうず

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 源信(げんしん)は、平安時代中期の天台宗の僧。恵心僧都(えしんそうず)と尊称される。
浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称される。

恵心僧都(えしんそうず)源信(げんしん)について
基本情報

本名:源信(げんしん)
法名:恵心僧都(えしんそうず)
生年:942年(天慶5年)
没年:1017年(寛仁元年)
出身:大和国(現在の奈良県)
宗派:天台宗
代表作:『往生要集(おうじょうようしゅう)』
概要
恵心僧都源信(えしんそうず げんしん)は、平安時代中期の天台宗の僧で、日本の浄土信仰の先駆者とされています。特に著書『往生要集』は、日本の浄土教(阿弥陀仏を信仰し、極楽浄土への往生を願う教え)の発展に大きく貢献しました。

生涯と活動
① 幼少期と学問

源信は幼い頃から優れた才能を持ち、13歳で比叡山に入り仏道を学びました。
特に、法華経や天台宗の教えに精通し、すぐに頭角を現しました。
16歳で正式に得度(僧侶になること)し、比叡山で学問に励みました。
② 浄土信仰への傾倒

当時の比叡山では、戒律や学問を重視する厳格な仏教が中心でした。
しかし源信は、「この世は苦しみに満ちている」という考えから、阿弥陀仏を信仰し、極楽浄土に生まれ変わることを説く浄土信仰に傾倒しました。
『往生要集』の執筆
著作年:985年(寛和元年)
内容:
地獄と極楽のリアルな描写(特に地獄の恐ろしさを強調)
阿弥陀仏を念じることで極楽往生できる
念仏の重要性
影響:
日本の浄土教の基盤を築き、後の法然や親鸞に大きな影響を与えました。
平安時代の貴族から庶民に至るまで、念仏信仰が広まりました。
③ 晩年と隠遁
源信は比叡山を離れ、京都の横川(よかわ)に庵を結び、念仏修行に専念しました。
ここで多くの弟子を育て、日本仏教の浄土思想を確立しました。
1017年(寛仁元年)、76歳で入滅。
恵心僧都の影響
浄土信仰の確立
『往生要集』を通じて、極楽往生を願う信仰が広まりました。
法然・親鸞への影響
鎌倉時代の**法然(浄土宗開祖)や親鸞(浄土真宗開祖)**が、源信の教えを継承。
地獄・極楽のイメージの普及
『往生要集』に描かれた地獄の恐怖は、日本の絵巻物や仏教説話にも影響を与えました。
まとめ
恵心僧都源信は、日本の浄土信仰の基盤を築いた天台宗の僧侶です。**『往生要集』**を著し、地獄と極楽を詳細に描くことで、人々の念仏信仰を促しました。彼の教えは、後の浄土宗や浄土真宗にも受け継がれ、日本仏教史に大きな影響を与えた重要な僧侶の一人です。