百済河成くだらのかわなり

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 百済 河成(くだら の かわなり、延暦元年(782年) - 仁寿3年8月24日(853年9月30日))は、平安時代初期の貴族・画家。氏姓は余(あぐり。無姓)のち百済朝臣。百済の第28代の王である恵王の後裔で[1]、余時善の子で、子に岑人がいたとする系図がある。官位は従五位下・安芸介。

百済河成(くだらの かわなり)について
基本情報

生没年:不詳(飛鳥時代)
出身:百済(現在の韓国)から渡来した工人(工芸職人)の一族
職業:仏像彫刻師(仏師)
代表作:飛鳥寺(法興寺)の「飛鳥大仏」造立に関与
概要
百済河成(くだらの かわなり)は、飛鳥時代(7世紀)の仏師であり、飛鳥寺の「飛鳥大仏」の制作に関与した人物として知られています。彼の名前からもわかるように、百済(現在の韓国)から渡来した技術者の一族で、日本の仏教美術の発展に大きな影響を与えました。

飛鳥大仏と百済河成
① 飛鳥大仏の制作

制作時期:593年(推古天皇元年)
発願者:蘇我馬子(当時の有力な豪族)
寺院:飛鳥寺(法興寺)
素材:銅(鍍金仏)
百済河成は、蘇我馬子が建立した**飛鳥寺の本尊「飛鳥大仏」**の造立に関与したとされています。飛鳥大仏は、日本で最古の仏像として知られ、日本仏教美術の始まりを象徴する作品です。

② 中国・朝鮮の仏教美術の影響

百済河成は、百済や中国の仏教美術の技術を日本に伝えた人物の一人です。当時の仏像は、中国・南朝(梁)や百済の様式を反映しており、アルカイックスマイルや流れるような衣紋の表現が特徴です。

百済河成の影響
① 日本最古の仏師

日本における**「仏師」**という職業の始まりは、百済河成を含む渡来系技術者にあるとされています。彼の技術は、日本の仏像制作の礎を築き、その後の日本の仏教美術の発展に寄与しました。

② 奈良時代の仏教美術への影響

飛鳥時代の仏像制作技術は、のちの奈良時代(8世紀)の**東大寺盧舎那仏(奈良の大仏)**などの制作にもつながっていきます。

③ 日本の仏像造立の系譜

百済河成が開いた技術の流れは、飛鳥時代から奈良時代、平安時代へと受け継がれ、後の日本の仏師集団(円派、院派、慶派など)の基盤を作ったと考えられています。

まとめ
百済河成は、飛鳥時代に活躍した仏師で、日本最古の仏像「飛鳥大仏」の制作に関与した人物です。彼は、百済から伝わった仏教美術の技術を日本にもたらし、日本の仏師の礎を築きました。その影響は奈良時代や平安時代にまで及び、日本仏教美術の発展に貢献した重要な人物とされています。