巨勢金岡こせのかなおか

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 絵画
プロフィール 巨勢 金岡(こせ の かなおか、生没年未詳)は平安時代前期の宮廷画家。巨勢有行または采女正・巨勢氏宗の子とする系図がある。官位は従五位下・采女正。

巨勢金岡(こせのかなおか)について
基本情報

生没年:生年不詳 - 10世紀頃(平安時代中期)
出身:巨勢氏(こせし)という古代の有力な絵師の家系
職業:絵師(日本の宮廷画家)
代表作:現存する作品はないが、多くの伝承が残る
概要
巨勢金岡(こせのかなおか)は、平安時代の宮廷絵師で、「やまと絵」の始祖とされています。やまと絵とは、日本独自の絵画様式のことを指し、後の日本美術に大きな影響を与えました。

巨勢金岡は、奈良時代から続く「巨勢氏」の出身で、宮廷に仕えた絵師の家系に生まれました。彼の名前は数々の伝説に登場し、日本の絵画史において重要な存在とされています。

主な功績
① やまと絵の創始者

巨勢金岡は、中国の影響を受けた唐絵(からえ)に対し、日本独自の風景や人物を描いた「やまと絵」を確立したとされています。やまと絵は、後の「源氏物語絵巻」や「鳥獣戯画」などの日本絵画に大きな影響を与えました。

② 「野馬図」の逸話

伝説によると、巨勢金岡が描いた馬の絵があまりにもリアルだったため、絵から馬が飛び出していくように見えたという逸話があります。これは、後世の絵師にも語り継がれた話で、彼の画技の卓越性を示しています。

③ 「法輪寺の飛天図」

京都の法輪寺には、巨勢金岡が描いたとされる「飛天図」があったと伝えられています。飛天とは、仏教に登場する天女のことで、仏教美術にも影響を与えたと考えられます。

巨勢金岡の影響
彼のやまと絵のスタイルは、後の藤原時代(平安後期)の貴族文化に大きな影響を与えました。
平安時代の貴族社会では、襖絵や屏風絵として、彼の技法を取り入れた絵が広まりました。
その後の「土佐派」や「狩野派」などの日本画の流派にも影響を与えたとされています。
現存する作品について
残念ながら、巨勢金岡の直筆の作品は現存していません。しかし、彼の作風を受け継いだとされる作品や、彼の技法を基にしたと考えられるやまと絵が後世に伝わっています。

まとめ
巨勢金岡は、平安時代の宮廷絵師であり、日本独自の絵画「やまと絵」の創始者とされています。彼の作品は残っていませんが、伝説や逸話が多く残されており、日本美術史において重要な役割を果たしました。その影響は後の時代にも受け継がれ、日本絵画の発展に大きく寄与したといえます。