鳥羽僧正とばそうじょう
時代 | 平安時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 覚猷(かくゆう、天喜元年(1053年) - 保延6年9月15日(1140年10月27日))は、平安時代後期の天台僧。鳥羽僧正(とばそうじょう)と世に呼ばれ、日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、鳥獣人物戯画などの作者に擬せられている。そのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされることもある。 鳥羽僧正(とばそうじょう)覚猷(かくゆう)について 基本情報 生年:1053年(天喜元年) 没年:1140年(保延6年) 出身:藤原北家(藤原家の貴族) 本名:藤原覚猷(ふじわらの かくゆう) 僧職:天台宗の僧 主な役職:天台座主(比叡山延暦寺の最高位) 概要 鳥羽僧正こと覚猷は、平安時代後期の天台宗の高僧で、藤原氏の出身です。宗教界で高い地位にあった一方、後世では「鳥羽僧正」の名前で知られ、特に**「鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)」の作者**とされることが多い人物です。 鳥獣人物戯画とその関係 「鳥獣人物戯画」は、京都・高山寺に伝わる絵巻物で、日本最古の漫画とも称される風刺的な作品です。 ウサギやカエル、サルなどの動物が擬人化され、相撲やお寺の儀式を行う様子が描かれています。 そのユーモアあふれる描写が、当時の貴族社会や仏教界の風刺と考えられています。 ただし、「鳥獣戯画」を鳥羽僧正が描いたという確証はなく、後世の伝説として語られることが多いです。 宗教・政治との関わり 覚猷は延暦寺の最高位である天台座主を務め、仏教界で大きな影響力を持っていました。 朝廷とも深い関係を持ち、鳥羽天皇との関係が深いことから「鳥羽僧正」と呼ばれるようになったと言われています。 当時の宗教界は政治と密接に結びついており、覚猷もその一端を担った人物です。 晩年と死 晩年は仏教活動に専念し、1140年(保延6年)に88歳で亡くなりました。 彼の遺産として、宗教的な功績だけでなく、日本美術や絵巻文化の発展にも大きく寄与したと考えられています。 まとめ 鳥羽僧正(覚猷)は、平安時代の天台宗の高僧で、宗教的な功績を残すと同時に、「鳥獣戯画」の作者とされることで後世に名を残しました。実際に彼が描いたかどうかは不明ですが、日本の風刺画や漫画文化の源流とされる作品と深く関連づけられる人物です。 |