蓮如上人れんにょじょうにん

時代 室町時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 墨蹟・書
プロフィール 蓮如(れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧。本願寺第8世。本願寺中興の祖。同宗旨[3]では、「蓮如上人」と尊称される。諱は兼壽。院号は信證院。明治15年(1882年)に、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。文献によっては「蓮如」と「辶 」(二点之繞)で表記される場合がある。真宗大谷派では「蓮如」と表記するのが正式である[4] 。
親鸞の直系とはいえ蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎなかった。他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった。その本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた。

蓮如上人(れんにょ しょうにん)について詳しく解説

**蓮如(1415年 - 1499年)**は、浄土真宗(本願寺派)を再興し、現在の真宗大谷派や浄土真宗本願寺派の基礎を築いた僧です。
戦国時代の社会に適応しながら、多くの庶民や武士に浄土真宗を広め、後に「本願寺教団」として大きな勢力を形成するきっかけを作った人物です。

彼の活動によって、本願寺は単なる宗教組織ではなく、一大武装勢力「一向一揆(いっこういっき)」としても戦国時代に影響を与えるようになりました。

基本情報

生年: 1415年(応永22年)
没年: 1499年(明応8年)
俗名: 葛西七郎(かさい しちろう)
出身地: 京都
宗派: 浄土真宗(本願寺派)
父: 本願寺第7世・存如(ぞんにょ)
本願寺の地位: 本願寺第8世
蓮如の生涯

1. 幼少期と本願寺の危機
蓮如は1415年に京都で生まれました。彼の父、存如(本願寺第7世)は本願寺の指導者でしたが、当時の本願寺は大きな勢力を持っておらず、比叡山延暦寺や他の仏教勢力から弾圧されていました。

また、本願寺内部でも権力争いがあり、蓮如は存如の正式な後継者として認められるまでに時間がかかりました。

2. 本願寺第8世としての活動
1457年、蓮如は本願寺第8世として継承されました。
しかし、その時点で本願寺は衰退し、仏教界での影響力も低い状態でした。

蓮如はこれを立て直すために、以下のような改革を行いました。

① 布教活動の強化

蓮如は、民衆に分かりやすく仏教を伝えるために「御文(おふみ)」という平易な文章を書き、人々に教えを広めました。

「御文」とは?

仏教の教えをわかりやすい言葉で表現した書物。
専門的な仏教用語を使わず、庶民にも理解しやすくした。
このおかげで、浄土真宗は武士や農民の間で急速に広まる。
② 浄土真宗の勢力拡大

蓮如は全国各地を巡りながら、布教を行いました。特に近畿地方や北陸地方(越前・加賀・越中など)で信者を増やし、各地に「道場」や「御坊(寺院)」を建設しました。

北陸地方での拡大

1471年に越前吉崎(現在の福井県あわら市)に「吉崎御坊」を建設。
ここを拠点として、多くの農民や武士に浄土真宗を広める。
この布教活動により、本願寺の勢力は急拡大しました。

③ 比叡山延暦寺との対立

本願寺の影響力が増すにつれて、伝統的な仏教勢力である「比叡山延暦寺」や「興福寺」などがこれを脅威とみなしました。

比叡山は、当時の仏教界で絶対的な力を持ち、他宗派の台頭を許さなかった。
叡山僧兵らが本願寺を攻撃し、京都の本願寺は**破却(焼き討ち)**される(1465年)。
蓮如は京都を追われ、吉崎へ移ることになりました。

④ 一向一揆の誕生

蓮如の教えは、単なる宗教活動にとどまらず、農民や地侍(小規模な武士)たちが団結する力となりました。

「一向一揆(いっこういっき)」とは?

浄土真宗の門徒たちが団結し、守護大名や戦国大名と戦った武装集団。
特に加賀(現在の石川県)では、一向一揆が大名を倒し、約100年間「自治国家」を築いた。
蓮如自身は一向一揆を主導していないが、彼の布教がその基盤を作った。
このように、蓮如の活動は「本願寺教団」という巨大な勢力を生み出し、戦国時代の政治にも影響を与えることになりました。

3. 晩年と死
晩年の蓮如は、近江(現在の滋賀県)に「山科本願寺」を建設し、本願寺の本拠地を再び京都に戻しました。

その後、1499年(明応8年)、蓮如は85歳で亡くなりました。
彼の死後、本願寺はそのまま強大な勢力を維持し、戦国時代を通じて織田信長や豊臣秀吉との戦いにも関わることになります。

蓮如の評価

〈良い評価〉
浄土真宗を庶民に広め、日本最大級の仏教勢力に育てた。
「御文」により、分かりやすい仏教を確立し、多くの人々を救った。
本願寺教団の基礎を築き、後の日本の仏教界に大きな影響を与えた。

〈批判的な評価〉
布教活動が大きすぎて、戦国時代の武力闘争(本願寺戦争)を招いた。
比叡山延暦寺など伝統的な仏教勢力と対立し、宗教界の対立を深めた。
信徒たちが武装化し、一向一揆として政治勢力化した。

まとめ

蓮如は、浄土真宗(本願寺派)の再興者であり、本願寺の基盤を作った。
「御文」を通じて、庶民にわかりやすい仏教を広めた。
全国各地を布教し、特に北陸地方で多くの信者を獲得。
本願寺教団の拡大が、一向一揆という武装集団の誕生につながった。
比叡山延暦寺との対立により、本願寺は弾圧を受けるが、その後勢力を回復。
彼の死後、本願寺は戦国時代の大きな勢力となり、織田信長とも対決することになる。
蓮如の影響は、現代の浄土真宗にも続いています。彼の「御文」は今も多くの人に読まれ、浄土真宗の信仰の基礎となっています。

もしさらに詳しく知りたいこと(御文の内容、蓮如と一向一揆の関係など)があれば、気軽に聞いてください!