小栗宗栗おぐりそうりつ
時代 | 室町時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 小栗宗栗 おぐり-そうりつ ?-? 室町時代の画家。 小栗宗湛(そうたん)の子あるいは養子とつたえられる。周文の画風の影響をうけ,文明(1469-87)のころ活躍した。若狭(わかさ)(福井県)小浜にすんだが,晩年は京都大徳寺に転居したという。 小栗宗栗(おぐり そうりつ、生没年不詳)は、室町時代中期に活躍した日本の画家であり、花鳥画や馬の絵を得意としたと伝えられています。彼は、同じく画家であった小栗宗湛(おぐり そうたん、1413年 - 1481年)の子、または養子とされています。 生涯と活動 出自と師承: 小栗宗栗は、室町幕府の御用絵師を務めた小栗宗湛の子、または養子とされています。宗湛は、京都で周文に学び、山水画を得意としたと伝えられています。宗栗も父と同様に、京都を拠点に活動していたと考えられます。 画風と作品: 宗栗は、花鳥画を得意とし、特に馬の絵にも優れた才能を発揮したとされています。彼は「芸愛」という印章を使用しており、この「芸愛」と署名された作品が現存しています。しかし、宗栗自身の確実な作品はほとんど知られておらず、その伝記も十分には明らかになっていません。 「芸愛」との関係: 「芸愛」の印を持つ作品の作者と小栗宗栗が同一人物である可能性が指摘されています。「芸愛」は16世紀半ば頃に京都を中心に活動し、大徳寺との関係が深かったとされています。特に、天文10年代前半に大徳寺内に再建された龍翔寺方丈に花鳥図襖を描いた可能性が高いとされています。しかし、この説を裏付ける決定的な証拠はなく、同一人物であるかどうかは明らかになっていません。 小栗派の影響 小栗宗栗が属する小栗派は、越前や若狭地方で活動し、花鳥画を中心に作品を制作していました。宗栗の父である小栗宗湛を祖とするこの派閥は、室町時代の日本絵画において一定の影響力を持っていたと考えられます。しかし、宗栗自身の詳細な生涯や作品については資料が限られており、今後の研究が待たれます。 参考文献: 「越前若狭で活躍した小栗宗湛を祖とする小栗派」UAG美術家研究所 湯上がりアート 「史上最全日本画家一览--江户时代(上)」搜狐 |