日蓮上人にちれんじょうにん
時代 | 鎌倉時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 墨蹟・書 |
プロフィール | 日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日[1][注釈 1] - 弘安5年(1282年)10月13日)[注釈 2]は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教の十三宗のひとつ日蓮宗 (法華宗) の宗祖。滅後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈された。 日蓮(にちれん)上人について **日蓮(にちれん、1222年 - 1282年)**は、鎌倉時代の僧侶であり、**日蓮宗(法華宗)**の開祖です。法華経を唯一の教えとし、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の唱題を中心に据えた教えを説きました。また、権力に対しても強く主張し、何度も迫害を受けながらも布教を続けました。 基本情報 項目 内容 生誕 1222年(貞応元年) 出身地 安房国(現在の千葉県鴨川市) 法名 日蓮(幼名:善日麿) 宗派 法華宗(後の日蓮宗) 主要著作 『立正安国論』『開目抄』『観心本尊抄』 没年 1282年(弘安5年) 墓所 身延山久遠寺(山梨県) 日蓮の生涯と主な出来事 1. 幼少期と修行時代 1222年(貞応元年)、**安房国(現在の千葉県鴨川市)**に生まれる。 12歳で清澄寺(せいちょうじ)に入り、仏教を学び始める。 16歳で正式に出家し、**「日蓮」**という名を名乗る。 比叡山延暦寺や鎌倉・奈良・京都の寺で、さまざまな仏教の宗派を学ぶ。 2. 法華経への確信と「南無妙法蓮華経」 仏教の多くの教えを学んだ結果、**「法華経こそが唯一の正しい教え」**という確信を持つ。 1253年(建長5年)、清澄寺で**「南無妙法蓮華経」**を初めて唱え、布教を開始。 これにより、当時の仏教界の主流だった念仏(浄土宗)や禅宗を批判し、敵対関係が生まれる。 3. 『立正安国論』と幕府との対立 1260年(文応元年)、日蓮は最も重要な著作の一つである**『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』**を執筆。 この中で、「日本が災害や戦乱に見舞われるのは、誤った仏教(念仏宗など)を信じているからであり、法華経を信仰すれば平和になる」と主張。 この論文を鎌倉幕府に提出するが、幕府の怒りを買い、念仏宗の信者たちから襲撃を受ける(松葉ヶ谷の法難)。 4. 佐渡流罪と法華経の確立 1271年(文永8年)、幕府の命により、日蓮は捕らえられ処刑されそうになる(龍ノ口の法難)。 しかし、処刑寸前で不思議な光が現れ、処刑が中止されたと伝えられている。 その後、佐渡(現在の新潟県)に流される(佐渡流罪)。 佐渡流罪中に、日蓮は『開目抄(かいもくしょう)』や『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』を執筆し、法華経の教えを明確にする。 5. 身延山での晩年 1274年(文永11年)、日蓮は赦免され鎌倉へ戻る。 その後、身延山(現在の山梨県)に入り、門弟たちを育てながら布教を続ける。 1282年(弘安5年)、病のため弟子とともに常陸国(現在の茨城県)へ向かう途中、**池上本門寺(東京都大田区)**で亡くなる(享年61歳)。 日蓮の教え(法華経中心の信仰) 1. 法華経の絶対的信仰 **「法華経こそが釈迦が説いた最も正しい教え」**とし、それ以外の宗派(念仏宗、禅宗、真言宗など)を厳しく批判。 法華経を信じることで、現世での救済(即身成仏)と国家の安定が実現すると説く。 2. 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) 法華経の教えを最も端的に示した言葉として、「南無妙法蓮華経」を唱えること(唱題)を推奨。 これが後の日蓮宗の信仰の中心となる。 3. 立正安国(りっしょうあんこく) 「正しい仏法(法華経)を信じることで、国が安定し、災害や戦争がなくなる」と説く。 これは、当時の蒙古襲来(元寇)などの混乱した時代背景とも関係している。 日蓮の影響 1. 日蓮宗(法華宗)の発展 日蓮の弟子たちが布教を続け、日蓮宗(法華宗)が成立。 江戸時代には幕府の庇護を受け、寺院が全国に広まる。 2. 法華経信仰の拡大 日蓮の教えは、後に庶民の間にも広まり、信徒による強い布教活動が特徴となる。 3. 日本仏教への影響 他宗派と激しく対立したことから、宗教論争の歴史が生まれる。 「法難」と呼ばれる迫害の歴史を持つが、その中で信仰を貫く姿勢が日蓮宗の強いアイデンティティとなる。 まとめ 項目 内容 生没年 1222年(貞応元年) - 1282年(弘安5年) 出身地 安房国(千葉県鴨川市) 主な著作 『立正安国論』『開目抄』『観心本尊抄』 教え 法華経の絶対信仰、南無妙法蓮華経の唱題、立正安国 主な出来事 『立正安国論』提出、龍ノ口の法難、佐渡流罪、身延山での晩年 影響 日蓮宗の成立、庶民信仰の拡大、日本仏教の宗派対立の要因 日蓮は、法華経を唯一の正しい教えとし、幕府や他宗派にも果敢に主張した情熱的な僧侶でした。彼の教えは、日蓮宗の成立につながり、日本仏教史に大きな影響を与えました。 |