藤原師通ふじわらのもろみち

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 古筆・墨蹟
プロフィール 藤原 師通(ふじわら の もろみち)は院政期の公卿で関白・藤氏長者。藤原師実の子。

### **藤原師通(ふじわらのもろみち)について**

藤原師通(ふじわらのもろみち)は、平安時代後期の公卿で、摂政・関白を務めた藤原氏の嫡流に属する人物です。短命ながらも権勢をふるい、当時の朝廷政治に大きな影響を与えました。

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## **基本情報**
- **生没年**:1062年(康平5年) – 1099年(承徳3年)
- **父**:藤原師実(ふじわらのもろざね)…関白・摂政
- **母**:源師房の娘(源顕房の孫)
- **官位**:正二位・摂政・関白・左大臣
- **妻**:
- 藤原家忠の娘
- 源師房の娘(源俊房の妹)
- **子**:藤原忠実(ふじわらのただざね)

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## **生涯と政治活動**
### **摂関家の嫡流としての地位**
藤原師通は、摂関家の嫡流に生まれ、幼少期から関白や摂政となることが期待されていました。父・藤原師実は、藤原氏の摂関政治を維持した有力な政治家であり、師通もその後を継ぐ立場にありました。

### **関白としての統治**
- **1078年(承暦2年)**:17歳で従三位に叙せられ、公卿となる。
- **1088年(寛治2年)**:27歳で関白に就任し、実権を握る。
- **1094年(嘉保元年)**:摂政に就任し、政務を統括。

師通は若くして摂関の地位に就き、院政を開始しつつあった白河天皇(上皇)と対立することがありました。彼の政治姿勢は強硬であり、貴族社会において一定の影響力を持ちながらも、対立を生むこともありました。

### **白河上皇との関係**
師通が活躍した時期は、白河天皇が退位して**院政を開始しようとする時期**と重なります。藤原氏の摂関政治と天皇家の院政との間で勢力争いが発生し、師通は白河上皇としばしば対立しました。

しかし、1099年(承徳3年)に38歳の若さで病没してしまい、その後の政権運営は藤原氏から天皇家(院政側)へと移っていきます。

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## **藤原師通の性格と逸話**
藤原師通は、非常に気性が激しく、独裁的な性格だったと伝えられています。

### **逸話1:藤原公実との確執**
同じ公卿であった**藤原公実(ふじわらのきんざね)**と対立し、公実の従者を殺害したという記録があります。このような事件は、当時の藤原氏内部でも派閥争いがあったことを示しています。

### **逸話2:強硬な政治姿勢**
- 院政を始めようとする白河上皇に対して対抗し、藤原氏の権力を守ろうとした。
- 貴族社会においても強権的な姿勢を貫き、周囲との衝突が多かった。

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## **藤原師通の家族と後継者**
師通の死後、摂関家の地位は**息子の藤原忠実(ふじわらのただざね)**に受け継がれました。しかし、忠実の時代には白河上皇の院政が本格化し、摂関家の影響力が弱まっていきます。

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## **藤原師通の死とその後**
1099年(承徳3年)、藤原師通は38歳で病没しました。急死であったため、政権の引継ぎは混乱し、結果的に院政が本格的に確立されるきっかけとなりました。

- **藤原忠実は関白となるが、院政の影響で実権を失う**
- **白河上皇が権力を強め、院政の時代が本格化**
- **摂関政治は衰退の道をたどる**

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## **まとめ**
藤原師通は、平安時代後期に摂政・関白として政治を担った藤原氏の嫡流でした。白河上皇との対立を抱えながらも、摂関家の権力を守るために強硬な政治姿勢を取った人物です。しかし、38歳という若さで亡くなり、その後の摂関家の影響力は低下。白河上皇の院政が本格化する契機となりました。

彼は藤原氏の伝統的な支配を守ろうとした最後の関白の一人であり、摂関政治の転換期に活躍した人物として記憶されています。