橘逸勢たちばなのはやなり
時代 | 平安時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 古筆・墨蹟 |
プロフィール | 橘 逸勢(たちばな の はやなり、延暦元年(782年)? - 承和9年8月13日(842年9月24日))は、平安時代初期の書家・貴族。参議・橘奈良麻呂の孫。右中弁・橘入居の末子。官位は従五位下・但馬権守、贈従四位下。書に秀で空海・嵯峨天皇と共に三筆と称される。 橘逸勢(たちばな の はやなり)とは? 橘逸勢(たちばな の はやなり、782年? - 842年)は、平安時代初期の貴族・書家であり、「三筆(さんぴつ)」の一人として知られています。彼は嵯峨天皇・空海と並ぶ、日本書道の祖の一人として称えられています。また、遣唐使として中国(唐)に渡った経験を持ち、文化面で多大な影響を与えました。しかし、晩年は「承和の変」という政変に巻き込まれ、悲劇的な最期を迎えました。 1. 橘逸勢の生涯 ① 出身と家柄 橘氏は、天皇家に連なる名門貴族で、橘逸勢もその家柄に生まれました。 若い頃から学問・書道に優れ、特に書の才能が群を抜いていた。 ② 遣唐使としての留学 804年(延暦23年)、最澄・空海らと共に遣唐使として唐へ渡る。 中国(唐)で最新の文化や書道を学び、日本に帰国後、その知識を広める。 ③ 平安京での活動 帰国後は、宮廷で書家・文化人として活躍。 彼の書風は、唐風の影響を受けながらも日本独自の美しさを持ち、「三筆」の一人として称えられるようになる。 2. 「三筆」の一人 「三筆(さんぴつ)」とは、日本の書道史における最も優れた三人の書家のことを指します。 三筆 特徴 嵯峨天皇 皇族らしい優雅な書風 空海(弘法大師) 力強く、ダイナミックな書 橘逸勢 唐風を取り入れた洗練された書 橘逸勢の書風は、流麗で気品があり、唐の影響を強く受けながらも、日本独自の美を追求したものだった。 3. 政変「承和の変」と最期 ① 承和の変(じょうわのへん)とは? 842年、嵯峨天皇の死後、彼の影響力を持つ藤原氏が政敵を排除するために政変を起こした。 その結果、橘逸勢は謀反の疑いをかけられ、流罪に処される。 ② 最期 橘逸勢は伊豆への流罪が決まったが、その途中で亡くなった。 冤罪であった可能性が高いとされ、後世では彼の名誉が回復された。 4. 橘逸勢の影響と評価 ① 書道界への影響 「三筆」の一人として、現在でも書道の世界で高く評価される。 彼の書は、日本独自の書道の発展に寄与した。 ② 文化の発展 遣唐使として中国の文化を日本に伝えた。 平安時代の宮廷文化に大きな影響を与えた。 5. まとめ 項目 内容 生没年 782年? - 842年 家系 名門・橘氏 代表作 「三筆」の書 遣唐使 804年、最澄・空海と共に唐へ渡る 政変 842年、承和の変で流罪(途中で死去) 評価 日本書道の発展に貢献、「三筆」の一人 橘逸勢は、書道家としての才能を発揮しながらも、政争に巻き込まれて非業の死を遂げた悲劇の貴族でした。その影響は今もなお日本文化の中に生き続けています。 |