大伴家持おおとものやかもち

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 古筆・墨蹟
プロフィール 大伴 家持(おおとも の やかもち、養老2年(718年)頃[1] - 延暦4年8月28日(785年10月5日)は奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。
『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残す。天平の政争を生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。

大伴家持(おおともの やかもち)とは?
**大伴家持(718年頃 - 785年)**は、奈良時代の貴族・歌人であり、『万葉集』の編纂に深く関わった人物として知られています。彼の和歌は約470首も残されており、万葉集最多の詠み手でもあります。政治家としては大伴氏の嫡流として活動しましたが、後半生は不遇でした。

1. 大伴家持の生涯

① 出自と家柄
大伴氏は、古代日本の有力な豪族で、特に武門の家柄として知られていた。
父は**大伴旅人(おおともの たびと)**で、彼もまた優れた歌人であった。
② 政治と軍事
740年:20代の頃、藤原広嗣の乱の鎮圧軍に参加。
754年:因幡守(いなばのかみ)として国司(地方官)に赴任。
760年:中納言に昇進するが、藤原氏の台頭により、次第に政治の舞台から遠ざかる。
③ 晩年と失脚
784年:藤原種継暗殺事件に関与したとされ、一時失脚。
785年:罪を赦されるが、同年に病没。
2. 大伴家持の文学

① 『万葉集』の編纂
万葉集の最終的な編纂者とされる。
家持の時代に「万葉集」の内容が整理され、最終的な形が整ったと考えられる。
② 代表的な和歌
「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)」

(訳)新しい年の初め、初春の今日降る雪は、まるで吉事(めでたいこと)が降り積もるようだ。

万葉集の最後の歌であり、「万葉集の掉尾(ちょうび)」と称される。
「鴨川の 清き流れに 霧立ちて 春のゆくへを 知るよしもなし」

(訳)鴨川の清らかな流れに霧が立ち、春がどこへ行くのか知ることもできない。

自然の移ろいを繊細に表現した家持らしい歌。
3. 大伴家持の影響

① 和歌の発展
家持は、自然・季節・人生の無常を詠んだ繊細な歌風を特徴とする。
彼の影響で、「叙景詩」としての和歌が発展。
② 貴族文化への影響
家持の時代に、「貴族が和歌を詠む文化」が確立されていく。
のちの『古今和歌集』や『新古今和歌集』の先駆けとなる。
4. 大伴家持の評価

項目 内容
生没年 718年頃 - 785年
家系 大伴氏(武門の名家)
代表作 『万葉集』
主な官職 因幡守、中納言
文学の特徴 自然詠・叙情的な和歌
影響 貴族文化の和歌の確立
大伴家持は、和歌の発展において極めて重要な役割を果たし、奈良時代の文学を代表する歌人として今も高く評価されています。