小野小町おののこまち

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 古筆・墨蹟
プロフィール 小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

小野小町(おのの こまち)とは?
小野小町(生没年不詳)は、平安時代前期(9世紀)の女流歌人で、**「六歌仙」や「三十六歌仙」**の一人として名を連ねるほどの才能を持っていました。また、彼女は「絶世の美女」としても伝説化され、多くの伝説や逸話が残されています。

1. 小野小町の生涯

小野小町の実在については不明な点が多く、生没年や詳細な経歴は明らかになっていません。しかし、以下のような説が伝わっています。

① 出身と家柄
小野氏の出身で、父は小野篁(おのの たかむら)とも言われるが確証はない。
地方官の娘であったとも、天皇に仕えた女官だったともされる。
② 宮廷での活躍
**仁明天皇(在位833年 - 850年)**の時代に宮廷に仕えていた可能性がある。
当時の文化人と交流し、和歌の才能を発揮した。
2. 小野小町の和歌

代表的な和歌
小野小町の和歌は、恋や人生の儚さを詠んだものが多く、特に有名なのが以下の歌です。

「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」

(訳)桜の花の色はすっかり色あせてしまった。ちょうど私の人生のように、憂いに沈んでいるうちに、時が過ぎ去ってしまったのだ。

この和歌は、**『古今和歌集』**に収められており、「人生の無常」を詠んだ名歌として有名です。

② 「六歌仙」の一人
**「六歌仙(ろっかせん)」**とは、平安時代の優れた歌人6人を指します。

六歌仙 代表的な特徴
小野小町 恋の歌・美しさ
在原業平 恋の情熱的な歌
僧正遍昭 宮廷歌人
文屋康秀 優雅な歌
喜撰法師 自然と仏教の歌
大友黒主 古風な歌
3. 小野小町の伝説

① 絶世の美女
「平安時代随一の美女」とされ、多くの貴族が求婚したと伝えられる。
しかし、彼女は簡単には心を許さず、多くの男性を振ったという伝説がある。
② 深草少将の百夜通い伝説
深草少将という貴公子が小町に恋をし、彼女は「百日間毎晩通ってきたら結婚を考える」と約束。
少将は99日目まで通ったが、最終日に倒れて亡くなったという悲劇の伝説。
③ 晩年の悲劇
小野小町は若い頃は絶世の美女だったが、晩年は貧しくなり、孤独に暮らしたという伝説もある。
**「草庵に住む老いた小町」**の絵が残されている。
4. 小野小町の影響

① 日本文化への影響
和歌だけでなく、**「美の象徴」**として後世の文学や芸術に多く登場。
能や歌舞伎では、「卒塔婆小町(そとばこまち)」などの演目で題材となる。
② 美人の代名詞
**「小町」**という名前は、日本の美人を象徴する言葉として使われるようになった(例:「秋田小町」「小町娘」など)。
平安時代から現代に至るまで、日本の「美」の象徴とされる。
5. まとめ

項目 内容
生没年 不詳(9世紀頃)
代表作 『古今和歌集』所収の和歌
特徴 恋や人生の儚さを詠んだ和歌
六歌仙 和歌の名人6人のうちの1人
伝説 百夜通い伝説、美人伝説、晩年の悲劇
影響 美の象徴として日本文化に影響
小野小町は、和歌の才能と伝説的な美貌で知られ、今なお日本文化に深く根付いている人物です。