伝教大師 最澄でんきょうだいし さいちょう

時代 平安時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 古筆・墨蹟
プロフィール 最澄(さいちょう)は、平安時代の僧。日本の天台宗の開祖である。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。
先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。

伝教大師(でんぎょうだいし)として知られる最澄(さいちょう、766年または767年 - 822年)は、平安時代初期の僧侶であり、日本天台宗の開祖です。彼の生涯と業績は、日本仏教の発展に大きな影響を与えました。

生涯

最澄は、近江国(現在の滋賀県)坂本に生まれました。幼名を広野(ひろの)といい、12歳で近江国分寺の行表法師(ぎょうひょうほっし)の弟子となり、14歳で得度して「最澄」と名乗りました。その後、奈良の東大寺で正式な僧侶となり、比叡山に入り修行を続けました。
天台宗公式サイト

入唐と天台宗の開宗

804年、最澄は遣唐使に随行して唐に渡り、天台山で道邃(どうすい)や行満(ぎょうまん)から天台教学と密教を学びました。805年に帰国後、比叡山に一乗止観院(後の延暦寺)を建立し、日本における天台宗を開きました。
WIKIPEDIA

大乗戒壇の設立

最澄は、比叡山に大乗戒壇を設立し、菩薩戒を授けることで、僧侶の育成と仏教の発展を目指しました。しかし、当時の仏教界からの反発もあり、彼の存命中に実現することはできませんでしたが、没後7日目に勅許が下り、設立が認められました。
セイキューオンライン

思想と著作

最澄は、法華経を中心とした一乗思想を唱え、仏教の統一を目指しました。主な著作には『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』などがあり、これらを通じて仏教の教義や戒律の重要性を説きました。
セイキューオンライン

影響と後世への貢献

最澄の教えは、多くの優れた僧侶を輩出し、日本仏教の発展に大きく寄与しました。彼の開いた比叡山延暦寺は、「日本仏教の母山」と称され、多くの宗派の祖師たちがここで修行しました。