長谷川信春はせがわのぶはる
時代 | 桃山時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 絵画 |
プロフィール | 長谷川等伯(信春)は、桃山時代に狩野永徳率いる狩野派と対抗し、自ら「雪舟五代」を名乗り長谷川派の長として活躍した画家です。 1539年(天文8年)、能登国の戦国大名・畠山氏の家臣である奥村文之丞宗道の子として七尾に生まれ、幼い頃に染物業を営む奥村文次という人物を通して、同じく染物屋の長谷川宗清の元へ養子に迎えられたと言われています。 晩年、等伯が自ら語った芸術論を、親しくした本法寺第十世・日通上人が綴った『等伯画説』(京都市・本法寺)の画系譜によると、どうやら養父・宗清も絵描きであったと見られることから、或いは宗清にも学んだ可能性があると考えられています。 長谷川 信春(はせがわ しんしゅん)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した日本の画家で、後に「長谷川 等伯(はせがわ とうはく)」と名乗りました。彼は1539年(天文8年)に能登国七尾(現在の石川県七尾市)で生まれ、幼名を又四郎、のちに帯刀と称しました。 WIKIPEDIA 生涯と業績 信春は、初めは能登で日蓮宗関係の仏画や肖像画を描いていましたが、元亀2年(1571年)頃に上洛し、狩野派などの画風を学びました。その後、牧谿や雪舟らの水墨画に影響を受け、独自の画風を確立しました。千利休や豊臣秀吉らに重用され、当時の画壇で重要な地位を築きました。 WIKIPEDIA 代表作として、『松林図屏風』(東京国立博物館蔵、国宝)や『祥雲寺(現智積院)障壁画』(国宝)などがあります。特に『松林図屏風』は、日本水墨画の最高傑作として名高い作品です。 WIKIPEDIA 晩年には自らを「雪舟五代」と称し、慶長15年(1610年)に江戸で没しました。彼の作品は、現在も多くの美術館や寺院に所蔵され、その芸術性は高く評価されています。 WIKIPEDIA 長谷川信春(等伯)の詳細な情報や作品は、石川県七尾美術館のウェブサイトでも紹介されています。 |