久住三郎くずみさぶろう

時代 昭和21年〜
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 現代日本画家
プロフィール 1946年、顔料会社を営む両親の三男として東京に生まれる。
叔父、叔母、祖父から、絵画、俳句、茶道等の日本文化を学び、自らも幼いころよりピアノを習い豊かな感性を育んでいった。

 慶應大学で法律を学んでいた20歳の時医療事故に遭い、九死に一生を得たことから残された人生を自分の好きなことで生きようと決意し、大学を中退し絵の道を選ぶ。

 その後、東京芸術大学日本画専攻に入学、大学院修了後は研究室に残り助手として10年間勤務する。

 27歳で日本美術院に初入選を果たし(以後毎年出品)、33歳では若くして銀座資生堂ギャラリーにて個展、山種美術館賞展、セントラル美術館賞展、燎展、新珠会展、志洋会展等、様々な展覧会に出品しながら順調に画家としての道を歩んでいく。

 そのような中36歳の春に肝炎を発症(のちに20歳の時の輸血が原因と判る)。入院治療するも完治は難しく慢性肝炎となるが治療を続けながら精力的に制作活動を展開していく。

 1989年(43歳)NY, SOHOでの個展をきっかけに己の芸術向上の為、さらには世界に通じる画家になるべくNYの地へと家族と共に移り住む。

 自然を多く題材にしていたことや娘3人の生活環境も考え都会より郊外を選び、マンハッタンから車で1時間ほど離れた豊かな自然の中で独自の芸術の追究を押し進めていった。

 NYの現代アートの渦巻く中で、ある時は抽象表現を試み新しいことに挑戦し、銅版画とも出会い、また日本を遠く離れてみることで再確認できたことも数多くあった。紙と墨の表現も大切な要素としてそれまで以上に取り入れていった。

 個展、グループ展と積極的に活動を続けるが体調を崩し、1997年2月、滞米6年半で帰国となる。

 帰国後は富士山麓河口湖畔のアトリエで制作を続ける。

 アメリカでの経験を活かしての日本画制作に意欲を燃やしていたが、病の進行はあまりにも速く、2000年7月53歳で画家としての生涯を閉じる。