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岩手県買取NO1を目指しています!!高価買取エリア(骨董品・美術品)

2016年1月22日

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紫波郡紫波町 (シワグンシワチョウ)
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下閉伊郡普代村 (シモヘイグンフダイムラ)
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及川 豪鳳(おいかわ ごうほう、1894年11月23日 – 1970年4月29日)は、日本の画家。本名:一。川端画学校卒。岩手県江刺郡岩谷堂町中町(江刺市を経て、現在の奥州市)生まれ。

萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 – 1927年5月1日)は大正~昭和初期の画家。
岩手県和賀郡東和町(現在の花巻市)出身。明治40年(1907年)、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。明治45年(1912年)、岸田劉生や高村光太郎らの結成したフュウザン会に参加している。萬は、その頃日本に紹介されつつあった、ポスト印象派やフォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴した。特にフィンセント・ファン・ゴッホやアンリ・マティスらの影響が顕著である。黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として、萬の功績は大きい。晩年は日本画の制作や南画の研究も行った。

略歴
1885年11月17日 岩手県和賀郡東和町の商家(回送問屋「八丁」)に生まれる。
1901年 大下藤次郎『水彩画之栞』を読み、大下に作品を送り、批評を受ける。
1903年 上京し、早稲田中学で学びながら、白馬会第二研究所(菊坂研究所)で素描を学ぶ。
1906年 臨済宗円覚寺派の宗活禅師に従って、アメリカ西海岸にわたる。サンフランシスコの美術学校で本格的な修業をすることを目指すが、この年に起きたサンフランシスコ地震で生活が困難になり、数ヶ月で帰国する。
1907年 東京美術学校西洋画科に入学する。
1909年 よ志と結婚する。
1911年 日本画家の広島新太郎(のちの広島晃甫)らとアブサント会を結成する。
1912年 東京美術学校の卒業制作として、《裸体美人》を提出する。
この頃の作品は後期印象派やフォーヴィスムの影響が強い。
1912年 フュウザン会第1回展に出品する。
1914年~1916年 土沢に帰郷、妻に電灯会社代理店を任せ、自らは制作に没頭する。フォーヴィスム的な色彩は影をひそめ、茶褐色を主とした作品を描く。
1917年 二科展にキュビスム的作品の《もたれて立つ人》を出品する。
1919年 病気療養のため、神奈川県茅ヶ崎市に転居する。鳥海青児、原精一らが薫陶を受ける。
1922年 春陽会の設立に参加する。
1922年 鉄人会を起こし南画の研究を進める。
1927年 結核のため、神奈川県にて死去する。

佐々木精治郎(ささき せいじろう、1885年(明治18年) – 1971年(昭和46年))は、日本の画家。岩手県水沢市黒石町出身(現在の奥州市)。
1914年ロサンゼルス美術学校を卒業。同地で個展を開催。1916年ニューヨークへ行き、ナショナル・アカデミー、アート・スチューデンツ・リーグで学び、1919年に同校を卒業。
1927年渡欧。1928年サロン・ドトンヌに出品。1928年日本美術大展覧会に、1929年パリ1回展に風景画や裸婦を出品。
1933年に日動画廊でパステル画展を開催。

佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年8月16日 – 2006年1月24日)は、日本画家、日本芸術院会員。

経歴
岩手県出身。1946年東京美術学校日本画科首席卒業、同年秋院展初入選。1948年に高山辰雄らの日本画研究団体一采社に参加、山口蓬春に師事、1949年日展初入選。1954年日展特選。1963年日展審査員、1970年名古屋芸術大学絵画科教授、1976年日展評議員、1977年日展文部大臣賞受賞。1985年、1986年紺綬褒章連続受章、1987年金閣寺天井画復元制作、1989年日本芸術院賞受賞。1993年日展理事、1997年名古屋芸大を退職、名誉教授、勲四等旭日小綬章受章。1999年日本芸術院会員に任命される。日展常務理事、顧問。 2006年1月24日没。生前の功績に対し、政府より旭日中綬章(旧勲三等)、併せて叙位を賜る。
名古屋芸術大学の教授を長く務めた縁で名古屋日展日本画部門の実質的責任者、岩手県出身者ということで仙台で開催される河北展日本画部門審査責任者、山口蓬春主要門下生ということで山口蓬春記念館理事等も歴任。 母方の係累には帝国議会衆議院衆議院議員を務めた小田為綱がおり、佐藤圀夫の実兄には早稲田大学第二政経学部学部教授、学部長、名誉教授、参議院特別顧問、弁護士を歴任した佐藤立夫。また佐藤圀夫夫人の係累には洋画家の松本竣介につながる。

村田 林藏(むらた りんぞう、1954年10月25日 – )は、日本画家。日本美術院特待。師・平山郁夫。主に、親子牛・羊などの家畜や古都の風景、日本の自然の四季などのモチーフを得意とする。

年譜
1954年 – 岩手県花巻市大迫町に生まれる。
1973年 – 岩手県盛岡市立高等学校卒業。
1978年 – 東京藝術大学美術学部日本画科卒業。
1990年 – 第45回春の院展、再興75回院展ともに初入選。以後出品。
1993年 – 再興78回院展にて、日本美術院院友に推挙される。
1997年 – 奈良県明日香村橘寺(聖徳太子生誕の地)に天井画奉献。
1999年 – 芝・増上寺に天井画奉献。「増上寺天井絵展」出品。
2000年 – 第55回春の院展入選作「湖畔」外務省買い上げ。平泉・中尊寺「金色堂」の切手原画制作。8月発行。
2005年 – 「雲龍図」(5m×5m)制作。長野県須坂市・圓長寺本堂天井設置。
2009年 – 「村田林蔵日本画展」(日本橋・高島屋)開催。
2011年 – 平泉世界遺産登録記念「村田林藏日本画展」(盛岡・川徳)。
2012年 – 平泉・中尊寺に日本画「金色堂散華心象図」50号を奉納。
2014年 – 「村田林藏・山田宏子二人展」開催(岩手町・石神の丘美術館)
2015年 – 岩手日報一面に、月一回の紙上ギャラリー「いわて心の風景」連載
再興第100回院展に「ひととき」入選。日本美術院特待に推挙される。

舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 – 2002年2月5日)は佐藤忠良と共に戦後日本を代表する彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。東京藝術大学名誉教授。文化学院出身で画家の妻道子との間に子供6人。次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍。

生涯
1912年、岩手県二戸郡一戸町小鳥谷生まれ。父親が熱心なカトリック信者だった。県立盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)在学中(同期に松本俊介)に高村光太郎訳の「ロダンの言葉」に感銘を受け、彫刻家を志す。
1939年 東京美術学校(後の東京藝術大学)彫刻科を卒業。このとき出会った佐藤忠良とは終生の友情を培うことになり、二人は戦後の日本彫刻界を牽引していく。卒業後、独学で石彫をはじめ、数々の作品を発表して注目される。1950年、長男が生まれて間もなく急死したのを機に、自らも洗礼を受けてカトリックに帰依、キリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした制作が増える。
1967年から1980年の間、東京芸術大学教授を務める。その後、多摩美術大学教授を務めた。1986年、東京芸術大学名誉教授に。1987年、脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になったが、すぐにリハビリを開始。死の直前まで左手で創作を続けた。2002年2月5日、多臓器不全で死去。89歳だった。
主な作品と受賞歴[編集]

たつこ像(秋田県仙北市)
1962年 「長崎26殉教者記念像」で高村光太郎賞。
1972年 島原の乱に着想を得た「原の城」で中原悌二郎賞
1973年 「原の城」でパウロ6世より大聖グレゴリオ騎士団長勲章受章。
1975年 「病醜のダミアン」(ダミアン神父をモデルにした作品。)
1977年 「道東の四季-春-」(釧路市の幣舞橋)で長谷川仁記念賞。
1978年 芸術選奨文部大臣賞
1983年 エッセイ『巨岩と花びら』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
1984年 勲四等旭日小綬章受章
1999年 文化功労者顕彰。
2002年 叙・従四位、賜・銀杯一組
ほかにも「聖クララ」、「聖セシリア」、「聖マリア・マグダレナ」、「たつ子像」(田沢湖畔に設置)、「ペトロ岐部神父の立像」などがある。

舟越 桂(ふなこし かつら、1951年 5月25日- )は、日本の彫刻家である。岩手県盛岡市出身。父・舟越保武も彫刻家の一人。姉は株式会社すえもりブックス社長の末盛千枝子(すえもり ちえこ、1941年 – )。
その作品は多くの美術館に展示されているほか、国際的な現代美術展への出展も多い。また、書籍の装幀などに作品が使用されるなど、その作品は多くの人々の目に触れている。1989年より、母校である東京造形大学において教鞭をとる。

略歴
1951年 – 東京芸術大学教授であった彫刻家・舟越保武の次男として生まれる。
1975年 – 東京造形大学彫刻科卒業。
1977年 – 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。
1986年 – 文化庁芸術家在外研究員としてロンドンに滞在。
1988年 – ヴェネツィア・ビエンナーレ出品。
1988年 – 第43回サンパウロ・ビエンナーレ出品。
1989年 – ~ 現在 東京造形大学客員教授。
1991年 – タカシマヤ文化基金第1回新鋭作家奨励賞受賞。
1992年 – ドクメンタIX(ドイツ・カッセル)出品。
1992年 – 第9回シドニー・ビエンナーレ出品。
1995年 – 第26回中原悌二郎賞優秀賞受賞。
1997年 – 第18回平櫛田中賞受賞。
2003年 – 第33回中原悌二郎賞受賞。
2006年 -「森に浮かぶスフィンクス」両性具有像を発表。
2009年 – 芸術選奨文部科学大臣賞、毎日芸術賞受賞。
2011年 – 紫綬褒章受章。

小久慈焼(こくじやき)は岩手県久慈市で焼かれる陶器。江戸後期に初代熊谷甚右衛門が相馬からの陶工、嘉蔵に師事したことから始まった。後に甚右衛門は師の技術を修得すると、地元の粘土を発見、釉薬も独自の物を創出し、茶器なども作られた。明治時代には柳宗悦にも認められたが、次第に衰退。昭和28年に市の努力によって再興し、今日に至る。
小久慈焼の代表的な作品は注ぎ口の長い片口である。これは酒や醤油を口の小さな容器に移し替えるときに用いられる。ほかにも食器や日用雑器などを焼いているが、糠白釉や飴釉、掛分釉だけを流し掛けただけの素朴な味わいが特色となっている。
なお、一部に八戸藩の御用窯であったと称える向きがあるが、八戸藩に御用窯があった記録は無く、盛岡藩にも小久慈に御用窯があったとの記録は無い。

鍛冶丁焼(かじちょうやき)は岩手県花巻市で焼かれる陶器。文政年間に、古館伊織が市内の鍛冶町にて窯場を開いたのが始まり。明治になって本家は廃窯、分家も戦災の影響を被って絶えてしまったが、昭和22年に益子で修行した阿部勝元が、伝統的な手法を蘇らせて再興した。
特色は轆轤による製法、伝統的な登り窯を使った手作りの味にある。そして青緑や乳白色の釉薬は、一見奇抜に見えるが非常に落ち着きがある。茶碗や酒器、花瓶などの日用雑器を主に焼いている。

台焼(だいやき)は岩手県花巻市で焼かれる陶磁器。花巻温泉郷の一角、台温泉近辺にて焼かれる。「糖青磁釉」と呼ばれる薄緑の色合いが特徴。

歴史
草創は明治中期で、地元の山に陶土を発見した杉村勘兵衛が湯ノ沢焼(小瀬川焼)の窯を利用して開窯。杉村は温泉水を使って陶土の鉄分を沈澱させ、混ざり物のない白磁を作ることに成功する。その後、自分の経営していた温泉を売却、その金を陶芸の研鑽に注ぎ込んだ。昭和に入ると陶器も焼かれるようになり、台焼は温泉名物として人気を呼び、近辺旅館の土産物として広く親しまれた。だが、大産地に圧され徐々に衰退。後に伝統的な台焼を守るため、県の窯業試験所に隣接する形で生産が続けられた。現在は有限会社台焼として営業を行っている。
特徴
台焼の特徴はやや鈍色の白い器肌であり、それに染付や釉薬を用いて意匠を作る。特に染付磁器は東北地方では珍しく、作品には菊花、唐草模様などがある。近年は陶器が主流であり、主に海鼠釉で彩りを添える。決して飾らない作りで、いかにも民芸品らしい趣がある。

藤沢焼

岩泉純木家具有限会社(いわいずみじゅんぼくかぐ)は、岩手県岩泉町で作られる家具工房。

沿革
1975年10月: 岩手県下閉伊郡岩泉町に設立。
1978年: 京王百貨店新宿店と取引開始(1998年まで)。
1980年: 岩手県盛岡市材木町にショウルーム開設。
1983年: 京王百貨店に常設コーナー開設。
1988年: 高島屋日本橋店と取引開始(1995年まで)。
1990年: 株式会社のるすくと取引開始(後のnoen、2009年にnoen閉店)。
1997年: 三越仙台店と取引開始(2000年まで)。
2000年: 家具屋いだと取引開始。
2002年: 純木家具西岡と取引開始(2011年まで)。
2004年: 千葉大学との合同開発企画を開催(2007年まで)。
2008年: 盛岡ショウルーム移転、店名をギャラリー純木家具と改称。
2011年: 岩手県北上市のさくら野百貨店北上店に直営の売り場を開設。

岩谷堂箪笥(いわやどうたんす)は、岩手県奥州市江刺区で作られる箪笥。1982年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された。

岩谷堂家具の起源は平泉が栄えていた頃の康和年間、藤原清衡が平泉に居を移すまでの約30年間、江刺郡豊田館を本拠地とし、産業奨励に力を注いだ時代にさかのぼると伝えられている。
江戸時代の中期天明時代に岩谷堂城主、伊達村将が家臣の三品茂左右衛門に箪笥を作らせた。文政年間には、徳兵衛という鍛冶職人が彫金金具を考案した。
江戸時代には仙台藩の政策により、特産の馬市が振興され多数の他国人が出入りし、他の産物同様岩谷堂箪笥の製作が盛んになった。

鍛冶丁焼(かじちょうやき)は岩手県花巻市で焼かれる陶器。文政年間に、古館伊織が市内の鍛冶町にて窯場を開いたのが始まり。明治になって本家は廃窯、分家も戦災の影響を被って絶えてしまったが、昭和22年に益子で修行した阿部勝元が、伝統的な手法を蘇らせて再興した。
特色は轆轤による製法、伝統的な登り窯を使った手作りの味にある。そして青緑や乳白色の釉薬は、一見奇抜に見えるが非常に落ち着きがある。茶碗や酒器、花瓶などの日用雑器を主に焼いている。

台焼(だいやき)は岩手県花巻市で焼かれる陶磁器。花巻温泉郷の一角、台温泉近辺にて焼かれる。「糖青磁釉」と呼ばれる薄緑の色合いが特徴。

歴史
草創は明治中期で、地元の山に陶土を発見した杉村勘兵衛が湯ノ沢焼(小瀬川焼)の窯を利用して開窯。杉村は温泉水を使って陶土の鉄分を沈澱させ、混ざり物のない白磁を作ることに成功する。その後、自分の経営していた温泉を売却、その金を陶芸の研鑽に注ぎ込んだ。昭和に入ると陶器も焼かれるようになり、台焼は温泉名物として人気を呼び、近辺旅館の土産物として広く親しまれた。だが、大産地に圧され徐々に衰退。後に伝統的な台焼を守るため、県の窯業試験所に隣接する形で生産が続けられた。現在は有限会社台焼として営業を行っている。
特徴
台焼の特徴はやや鈍色の白い器肌であり、それに染付や釉薬を用いて意匠を作る。特に染付磁器は東北地方では珍しく、作品には菊花、唐草模様などがある。近年は陶器が主流であり、主に海鼠釉で彩りを添える。決して飾らない作りで、いかにも民芸品らしい趣がある。

小久慈焼(こくじやき)は岩手県久慈市で焼かれる陶器。江戸後期に初代熊谷甚右衛門が相馬からの陶工、嘉蔵に師事したことから始まった。後に甚右衛門は師の技術を修得すると、地元の粘土を発見、釉薬も独自の物を創出し、茶器なども作られた。明治時代には柳宗悦にも認められたが、次第に衰退。昭和28年に市の努力によって再興し、今日に至る。
小久慈焼の代表的な作品は注ぎ口の長い片口である。これは酒や醤油を口の小さな容器に移し替えるときに用いられる。ほかにも食器や日用雑器などを焼いているが、糠白釉や飴釉、掛分釉だけを流し掛けただけの素朴な味わいが特色となっている。
なお、一部に八戸藩の御用窯であったと称える向きがあるが、八戸藩に御用窯があった記録は無く、盛岡藩にも小久慈に御用窯があったとの記録は無い。

チャグチャグ馬コ(ちゃぐちゃぐうまっこ)は、岩手県滝沢市と盛岡市において毎年6月の第2土曜日に実施される祭り。滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡市の盛岡八幡宮まで、華やかな馬具を纏った馬を連れて進行する。1978年に選択無形民俗文化財に選択され、チャグチャグ馬コの鈴の音は、1996年に環境省(当時は環境庁)の「残したい日本の音風景100選」に選出された。
概要
古来より、牛とともに農耕にかかせない家畜であった馬の勤労を感謝する祭りで、大型の優秀な馬「南部駒」の産地として知られる南部藩において日頃の労働の感謝の意味を込めて旧暦の5月5日に村民が鬼越蒼前神社に馬の無病息災を祈願したのがチャグチャグ馬コの起源とされている。百頭を超える馬が滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮までの約15Kmの距離を鈴の音を響かせながら4時間かけて練り歩く。1958年からは新暦の6月15日に開催されてきたが、2001年以降はより多くの人が参加しやすいよう、6月の第2土曜日に開催されている。

岩手県伝統的工芸品
南部木杓子
安比塗
岩泉純木家具
大野木工
南部桐まくら
南部細目組紋様組子細工
岩谷堂箪笥
木杓子
木工品(北上市)
南部紫・茜しぼり染
南部古代型染
八幡平地熱染
南部型染
南部裂き織
南部紬(花泉町)
南部千厩紬
南部紬(岩泉町)
ホームスパン
岩手冷藍染
田舎手さき織
鍛冶丁焼
台焼
藤沢焼
小久慈焼
竹細工(花泉町)
竹細工(二戸市
あけびづる細工
盛岡のこけし
チャグチャグ馬コ
南部系こけし
花巻人形
鹿踊人形
張子の金のベゴッコ
忍び駒
南部系覚平こけし
鬼剣舞面・鬼剣舞人形
遠刈田系湯田こけし
雪やけこけし
六原張り子
東山こけし
遠野の河童
遠野附馬牛人形
マリンローズ
久慈琥珀
花巻傘
成島和紙
ほおずき細工
紫雲石硯(東山町)
紫雲石硯(大船渡市)
東山和紙
久慈砂鉄鍋
鮭革加工

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